51 できそうでできない

2013.11.2


 これでも30年以上も演劇部の顧問をやってきて、ずっと演出担当だったものだから、ドラマや芝居を見ていると、いろいろ気になることがある。

 テレビドラマなんて、それこそ毎回心の中でダメだしのしつづけだし、時にはテレビに向かって声だして文句言うこともあるけれど、もちろんそんなの、あちらに届くはずもない。

 しかしこれが芝居だと届くことがある。生身の人間が目の前で芝居をし、それを見た後、その役者に「よかった」とか「すごいねえ」とか言えるってことは、テレビや映画にはない楽しみである。場合によっては、ちょっとダメだししてみることもできる。最近のデジタル放送での「双方向」なんて、実にたあいもないことだ。

 先日芝居を見ていて妙に気になる仕草があり、芝居のはねたあとの飲み会で、ちょっとダメだししてみた。もちろんプロの劇団だから、ぼくのような者がああだこうだいう筋合いではないし、畏れ多いことなのだが、飲んだついでにちょっと言ってみたわけである。

 その仕草というのは、別にたいしたことではなくて、おちょこで酒を飲むという仕草だ。これは落語を見ていると必ずといっていいほど出てくる仕草で、名人がやるとほんとに飲んでるどころか酒の味まで伝わってくるような気がするものだ。その仕草が、その日の芝居ではどう見ても飲んでいるように見えない。口へおちょこを持って行くのだが、飲み方がはやすぎて酒が口の中に入っていく感じがしない。他の演技はとても上手なので、その仕草だけが妙に目立って、もったいないなあ、演出家は気づいていないのかなあと思いながら見ていたので、彼はその場にいなかったが、そのことをちょっと言ってみたのである。

 「あ、それは、もう何度も言っているんですよ。今日も確か言ったはずなんですけどね。どうもできないみたいで。」という答が返ってきた。へ〜、そうなのかあ、簡単なことだと思うんだけどね、できないのかあ、と言いながら、案外そういうもんかもしれないなあとつくづく思った。

 落語の名人の仕草も、同じことをそれこそ何十年もやってきてこそできる仕草で、それが簡単にできると思っている方がそもそも間違いなのだ。できそうでできない。何事もそうだ。特に、簡単そうなことほど、簡単にはできない。

 家に帰ったら、ほんの30分でもいいから机の前に座って、その日の復習をして次の日の予習をしないさい、なんてことを教師は言うし、それぐらい誰だってできると教師は思っているかもしれないが、それができる子どもは少ない。一日や二日ならできても、一年間それをやり通すなんてことができたら、それこそ超優等生だ。

 書道でも、「線をしっかり筆を突き込むように書きなさい。」とよく言われる。ところが、つい筆で紙を撫でるように書いてしまう。よし、今度は意識して書くぞと思って書いて、あとでよく見ると、やっぱりできてない。画数の多い字は難しそうにみえるけど、実は、ひらがなの「し」のようにたった一本の線の字の方がずっと難しい。だれでも書けそうな一本の線。それが、書けそうで書けない。難しいものである。だからこそ面白い。


 

Home | Index | Back | Next