37 素敵な東北弁 

2013.7.27


 「あまちゃん」がなければ夜も日も明けぬ昨今だが、ついこの前の晩は、全編これ方言という夢を見てしまった。最近、昔に比べて眠りが深めなのか、その内容まではよく覚えていないのだが、とにかく、自分も、出てくる人間も、どこの方言だか知らないけれどしゃべりまくっていた。

 あんまり夢の印象が強烈だったので、方言のことが頭をはなれず、本棚にあった「日本の名随筆別巻66・方言」を手にとってパラパラ読んでいたら、三浦哲郎の「方言について」という随筆が載っていた。三浦らしい地味なタイトルである。それによると、青森県の八戸出身の三浦は、郷里の言葉を他国の人に話しても一度で通じたためしがないから、人前で言いたいこともいえなかったが、大学(早稲田大学)に入ると、として次のように書く。

 ところが、大学へ入ってみると、九州出身の級友や、京都、大阪出身の級友たちが、平気で自分の郷里の訛をまる出しにして話している。私は不思議な気がした。入学してまもなくの、最初のクラス会のときも、九州や関西各地の出身者たちは、いずれも郷里の訛をまる出しにして自己紹介をしたが、誰も笑う者がいなかった。それで私も、そうするのがこんな会のしきたりかと思って、東北弁まる出しの自己紹介をすると、忽ち会場に爆笑が起こった。

 これはなかなか複雑で込み入った問題だ。背景には、明治政府の「方言撲滅運動」があり、その中でも特に「東北弁」が目の敵だったらしいという事情もあり、「東北弁」が侮蔑の対象となってきたという歴史もあるのかもしれないが、このクラス会に集まった新入生の「爆笑」の原因がそれだけだったとは思えない。むしろ「思わず笑った」というほうがあたっているのだろう。けれども笑われたほうはたまったものではない。三浦も、以後激しい劣等感に悩んだという。井上ひさしも同様な思い出をよく語っていた。

 さすがに今の時代では、こんなクラス会などないだろうが(いや、あるか?)、確かに、今でも、博多弁や長崎弁を聞いて笑う人はあまりいないが、「東北弁」は笑う人は結構いそうだ。しかも、この「笑う」というのは、「軽蔑して笑う」のではなく、「面白くて笑う」という意味合いの方が断然強いようにも思う。

 同じ本の中に、日本語研究家の浅田秀子という人が「東北弁はなぜおかしいか」という文章を書いていて、その中で浅田は、そうした歴史的に形成された侮蔑の感情が日本人の中に根深くあるらしいことは認めながらも、標準日本語もまだまともにしゃべれない中国人に、井上ひさしの「吉里吉里人」という小説の「吉里吉里語」の部分を読んで聞かせたらドッと笑った、という例を引きながら、「東北弁には国籍をこえて、ということは文化をこえて、人に笑いをおこさせるエネルギーがもともとあるらしい。」と言っている。

 そうなのかもしれない。東北弁とは違うが、「U字工事」が栃木弁で漫才をすると、それだけでおかしいし、そこに何か力強さを感じるのもこうした「東北弁のエネルギー」に通じるものがあるのかもしれない。

 ところで、先ほどの三浦哲郎の文章は、この後が肝心なのである。三浦はこんなふうなことを続けて書いているのである。

 私が以前郷里を舞台にして書いた『繭子ひとり』という小説が、NHKのテレビ小説として全国放送されることになったとき、私の郷里には、登場人物たちが話す言葉が笑われやしないかと危ぶむ声が多かった。それは無理もないことで、私自身、たとえば自分がとき折り郷里にいるおふくろと電話で長話をするときのような会話が、毎朝全国に放送されると思うと、ちょっといたたまれないような気持だったことは、事実である。
 けれども、実際に放送がはじまってみると、私たちが心配していたほどのことはなかった。もう放送の方はそろそろ終りに近づいているようだが、この分では、郷里の人たちの心配もどうやら杞憂に終りそうである。今度のことで、直ちに東北弁が九州弁と肩を並べるほどに見直されたとは思わないが、郷里の人たちも、また東北を郷里に持つ人たちも、いちいちおかしいと笑われなかっただけ、ほっとしているのではないかと思う。
 他人事のようにいえば、ただそれだけですら、東北弁のために画期的なことだといえるだろうが、時すでに遅しという感がなくもない。

「繭子ひとり」の放送は、山口果林主演で、NHKの朝の連続テレビ小説第11作として1971年4月5日から、翌年の4月1日まで。最高視聴率は何と55.2パーセントという。しかも、この映像はただの1話も現存していないという。(wikiによる)

 ああ、そうか、もう40数年も経つのかと感慨深い。「繭子ひとり」は熱心に見ていたわけではないが、何となく記憶に残っている。山口果林もときどきサスペンスに出てくるが、すっかり歳をとった。それよりも、この時代、「東北弁」がこのような複雑で微妙な感情を色濃く周囲にまとっていたということは、記憶しておいてよいことだと思う。

 浅田さんのような生粋の江戸っ子からすれば、「東北弁には人に笑いをおこさせるエネルギーがある。」と他人事として言ってのけることもできようが(本当は浅田さんは、仙台に何年も住み、「東北弁が大好き」だそうだが、しかし、やはり「他人事」には違いない。)地元の人間には、もっともっと複雑な感情のヒダがある。

 三浦哲郎もすでに3年前に他界してしまったが、今回の「あまちゃん」を見たらどう思ったことだろう。感想を聞きたかった。三浦は、40数年前に「時すでに遅しという感」を抱いていたというが、それでも、「あまちゃん」は、東北弁をほんとうの意味で身近にしてくれているのではなかろうか。もちろん、これまでにも様々な形で、「東北弁」の魅力を広めた多くの人たちがいる。その土壌のうえに今回の「あまちゃん」が花開いたのだ。そう考えれば40年という歳月は無駄ではなかったということだろう。


 

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