35 1万円のパジャマだぜ  

2013.7.13


 めったにそういうことはないのだが、家内が、こんなものがあるけど買う? っていうので、何? って聞いたら、パジャマだという。通販らしい。パジャマなんてあるじゃないかと思いつつ、よく聞いてみると、ガーゼで出来たパジャマで、何と1万円もするという。いくらなんでもそりゃ高いんじゃないの、って思ったが、何しろ家内が言い出しっぺである。ほんとにめったにあることではない。

 我が家の買い物のパターンというのは、だいたいが、ぼくが、これが欲しいあれも欲しいととめどなくいうのを、家内がそんなものいらない、そんなもの贅沢だと阻止するというもので、その逆というのは、何度もいうが、めったにないことなのである。別に我が家に限らず、亭主と女房の関係というものは、こういうのが多いんじゃないかと思う。

 しかし値段を別にすれば、ガーゼのパジャマというのは、かなり魅力的に感じられた。何しろこの暑さである。寝る前に寝室をギンギンに冷やしはするが、ベッドに入るとエアコンはとめてしまうので(エアコンをつけたままでは、風邪を引きそうでいやなのだ。)たいていは、夜中に汗まみれになって目が覚める。パジャマなんて、もうびしょびしょである。そういう夜に、ガーゼのパジャマは、ひょっとしたら快適かもしれないと思ったので、買うことに同意した。(こういう言い方もそう何回も使えるものではない。)家内の分もあるわけだから、総額2万円である。

 あっという間に、1万円のパジャマが届いた。上下に分かれていて、上も下も、薄いガーゼ地を2枚重ねてある。上のほうは、首から被る形で、ひどくゆったりとしている。下の方は、幅広のステテコのようなもので、膝のあたりまで。ちょっと大きいかなあと思ったが、着てみると、大きさも感じないし、重さも感じない。まるで、着ていないみたいだ。天使になった気分だ。

 その夜。連日の熱帯夜だ。ところが、驚いたことに、その夜は一度も目が覚めることなく熟睡し、朝起きても、パジャマは襟のあたりがウッスラと湿っている程度。何という快適さ。次の夜も、その次の夜も熱帯夜は続いたが、ぜんぜん汗みどろにならない。すごい、すごすぎる。

 学校へ行って、さっそく同僚の教師たちに吹聴した。「1万円のパジャマを買ったぜ。」こういうと、みな一様にものすごく驚く。そんなバカな! って顔をする。それがさあ、汗をたちまち吸うからか、とにかく快適なんだよ、買うといいよ、っていっても、いやいやパジャマに1万円なんて、そんな、そんな、と相手にしてくれない。だって、1万円なんか居酒屋で3回ぐらい飲めば(居酒屋で3回と細かく計算してしまうところが安月給の悲しさだなあ。)吹っ飛ぶでしょ。パジャマなら、それで一夏快適に過ごせるんだぜ、って説得しても聞く耳持つものは一人もいない。

 1万円という金は、中学生ならいざしらず、今の大人にとってはそれほどの価値があるものではない。1万円札を崩したら、もうあっという間に消えてなくなる運命にある。けれども、どうも、1万円とパジャマが組み合わさると、まるで「ポルシェ買ったぜ。」ぐらいのインパクトがあるようなのだ。

 そもそも、パジャマなんてシロモノは、なくてもいいものだ。夜寝るからパジャマを着るなんて、幼稚園児の発想だともいえる。今どきの大人は、パジャマなんて着ないのかもしれない。Tシャツでいい。下も、ステテコで十分。何なら、何にも着ないで寝たっていいわけだ。その昔、わが勤務校で働いていたスペイン人の神父様は、夏は、暑いからといって修道院の屋上で真っ裸で寝ていたらしいという有名なエピソードだってある。

 ぼくの話に耳を貸そうともしなかった教師の中にも、パジャマなんて着ませんよ。体育祭のときに学校からタダで貰う体育祭Tシャツで間に合わせていますから、なんていう者もいた。そういう人にとっては、パジャマに1万円使うなんて考えられない贅沢あるいは暴挙と感じられることだろう。

 ぼくだって、たとえば誰かが、オレは一巻き1万円のトイレットペーパーでお尻を拭いてるぜ、ぐらいのことを言われれば相当に驚くだろうが、やっぱりこのパジャマは1万円の価値がある。1万円のトイレットペーパーでお尻を拭いたって、これほどの気持ちよさは望めっこない。

 ほんとにだまされたと思って、使ってみてもらいたい。1万円のパジャマ。たとえ、たいして快適じゃなかったとしても、自慢できることだけは確かだし、驚いてもらえることも確かだ。今どき、1万円の出費で自慢できることなんてそうそうあるものではない。

 もちろん、バカだと思われる危険性もないわけではない。その場合も、バカだと思われる原因は、パジャマを買ったこと自体ではなくて、それを調子に乗ってわざわざ吹聴して回ることだから、それさえしなければいいわけである。


 

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