34 「初」は何偏?   

2013.7.5


 期末試験の問題に、漢字の部首名に関する出題をした。そもそもぼくは高校の教師だったわけで、今の学校に来てから中学生も教えることになったのだが、どうもやっぱり高校生向きの授業みたいになってしまう。だから試験問題も、漢字の部首なんて小学生のような問題は今まで一度も出したことがない。けれども、たまたま教科書に部首についてのコラムがあったので、じゃ、ここからも出すよと言ったのだ。

 「秋」「熱」「延」などの漢字の部首名を答えよという、まあクイズみたいなものだ。学校で試験問題を印刷しながら、近くにいた若めの教師に問題を出してみた。「熱の部首は?」「え〜っと、え〜っと、あ、レッカ!」なんて苦しんだ挙げ句に正解する者もいるし、「延長の延は?」「え〜? エンチョウのエン? そのまんまで、エン、ニョウ?」なんて自信なさそうに、おそるおそる正解を出す者もいる。やっぱり、小学生の頃にやったことって、案外残ってるもんだねえ、なんていっていると、理科の教師が、「いや、何か、最近調べたんで。」などといって、さらに「そういえば、初っていう字は何偏だと思ってますか?」って逆に質問してきた。

 思わぬ逆襲に、頭の中で、シメスヘンだけど、何か? って考えが瞬時めぐった。「コロモヘンだと思うでしょ?」あ、やばい、コロモヘンだった、と頭の中で考え、「シメスヘンだろ」って口走らなくてよかったと安堵したのも束の間、「コロモヘンじゃないんですよ。」という。こうなると頭の中はグチャグチャになってきて、どうやってこの場を国語教師としての体面を守って切り抜けるかを考えるイトマもなく、「え? じゃ、何なの?」というマヌケな質問をしてしまった。理科の教師は、勝ち誇ったように、まるで国語教師のくせにそんなことも知らないんですかあ? といった顔をして(そう感じただけです)、「あれは、カタナなんです。」と言い放った。

 何でも「初」という字を漢和辞典で調べようとして、「コロモヘン」の所を探したけれど、どうしても載っていない。おかしいなあと思ってよく調べたら、なんと「カタナ」の部の所にあったというのだ。これは初耳だった。国語教師としての体面ウンヌンなどといっている場合ではない。

 「でもねえ、漢字の部首っていうのは、案外辞書によって違うかもよ。」って苦しい息のもと、やっとこさ反撃したが、いや何種類かの漢和辞典を見たけれど、みな同じだったというのだ。で、結局その場は、ぼくのマケみたいな形で終わった。

 その後、もちろん国語科研究室で、何冊もの漢和辞典にあたってみたが、やっぱり「初」は「コロモヘン」ではなく、「カタナ」の部にある。利益の「利」も「ノギヘン」ではなく、「カタナ」の部だ。う〜ん、そういうことかあ、とあたりをつけて、漢和辞典の「序」を見る。つまり、この辞典はどういう方針で部首の分類をしているかということが書いてあるところだ。そこには、部首の分類は「康煕(コウキ)字典」に従っていると明確に書いてある。この「康煕字典」というのは、中国は清の康煕帝の命によって作られた漢字の字書の集大成である。現在の日本の多くの漢和辞典は、この「康煕字典」を元にしている。従って、部首による分類も、この「康煕字典」の分類に従っているのである。

 これ以上詳しく書くと、読むのもメンドウになるので、省略するが、要するに「初」の部首が何かというのは、問題としてナンセンスであるということなのだ。正確に言えば、「康煕字典」では、何の部に分類しているか、というのが正しい問題の立て方である。漢字は最初から「部首名」を持っていたわけではない。膨大な漢字を「字書」に載せるために、いろいろな基準を作って分類したわけだ。だから「初」を「コロモヘン」として分類するか、「カタナ」として分類するかは、考え方次第で、たまたま「康煕字典」がより重要な意味を持つ方を部首とするという立場をとったために「カタナ」の部としたというわけだ。ちなみに「初」とは、「刀で衣を裁つ」の意味で、そこから「はじめ」という意味も生じたということになる。「刀」が大事か、「衣」が大事かなんて、分かんないじゃないかと言われればそれまでだが、「裁つ」のに使う刀の方がイメージが優先すると考えたのだろう。

 したがって、件の理科教師が、「初の部首はカタナなんです。」と胸を張って言うのは、必ずしも正しい態度ではない。むしろ、「う〜ん、コロモヘンでもいいんじゃないの? 要は分類の仕方だからねえ。」というアイマイな言い方の方がプロっぽいわけである。もちろん「康煕字典」まで持ち出せれば完璧だ。そういうプロっぽい答え方を即座にできなかったことが、今はただ悔やまれる。あと一歩だったのに。

 ちなみに、こういう部首の分類が分かりにくいったらありゃしないと怒った人たちは、この分類を捨てて、新しい「合理的な」部首分類による漢和辞典を作っている。それは三省堂の「明解漢和辞典」であるが、(であるが、なんてエラソウに言っているが、実はネットで調べました。)実際にその辞典を見てみると、必ずしもすべてがすっきり解決できておらず、かえって混乱を招くような気もする。

 かの白川静先生の「字統」では、音読みの順で漢字が並んでいる。これがもっとも「合理的」かもしれない。まあ、近ごろは、部首索引を使って漢和辞典をひく人も少なくなり、ましてパソコンなら、分からない字は直接マウスで書いてしまうほうがよっぽど早くて、「部首名」自体があまり大きな実用的な意味を持たなくなりつつある。

 まして、「レッカ」だの「エンニョウ」だの、日常生活ではまず使わない言葉を覚えてもあまり意味はないのだろう。

 採点していたら「延」の部首名を「ケンニョウ」と書いた生徒が何人かいて、思わず笑ってしまった。中学1年生にとってすら、「エンニョウ」より「ケンニョウ」の方がまだ身近だというのは、何とも皮肉でおもしろい。


 

 

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