33 存続の危機   

2013.6.29


 中学1年生の国語では、漢字の小テストというのをやることになっている。教科書とは別の問題集を買わせて、2週間に1度、指定された範囲から20題を出題している。

 このテストで満点をとると、ぼくの似顔絵のスタンプを押してもらえる。あるいは押されてしまう。押されたくない人はなるべく満点をとらないように気をつけなさいなんて言って始めたら、「欲しい!」と身をよじる者が続出して、それが功を奏したかどうかしらないが、190人の内、満点をとるものが毎回70人ぐらいに及ぶ。スタンプなんてそんなに欲しいものだろうかとも不思議に思うけれど、毎回70回も自分の顔のスタンプを押すのも結構めんどくさいというか、変な気分というか、まああんまり普通の行為ではない。

 テストを返した後、正解を黒板に書きながら、いろいろと注意をする。漢字の書き方に関する注意もあれば、関連する事柄の説明もあるのだが、つい脱線してしまって、漢字の説明だったはずなのに、とんでもないことに話が発展したりしてしまう。

 前回、問題に「ソンボウの危機」というのがあった。正解は「存亡」である。ほとんどの生徒が出来ているから説明しなくてもいいのに、余計なことを言った。

 この「存亡の危機」なんだけど、1週間くらい前かなあ、テレビを見ていたら何かのニュースでアナウンサーが「存続の危機」って言うんだよ。そのうえ字幕にもくっきりと「存続の危機」って出るからね、何だ「存続の危機」って、それをいうなら「存亡の危機」だろうが、って悪態ついていたんだけど、とうとう訂正もなかった。まったく、近ごろのテレビっていうのも質が落ちたもんだね。「存続の危機」なんていったら、「存続する危機」ってことになるから、そんなのちっとも「危機」じゃないよね。「存亡」は「存続」か「滅亡」かってことだから「危機」なんだ。よく覚えておきなさい。

 なんて全部のクラスでしゃべった後、家に帰って、どうもどこかにひっかかるものを感じた。いくら最近のテレビがいい加減だといっても、あれだけ堂々と字幕まで出して、それで訂正もしないというのは、ひょっとして「存続の危機」という言い方も、最近ではあるんじゃなかろうか。そう思って、調べ始めた。

 辞書ではなかなか埒があかない。で、ネットで調べているうち、驚くべきことが分かった。

 なんと、事実はぼくの説明とまったく逆であったのだ。

 「存続の危機」が正しい言い方で、これは「存続が危ぶまれる危機的状況」という意味だという。いっぽう「存亡の危機」は間違いで、正しくは「存亡の機(き)」あるいは「存亡の秋(とき)」という。どうして「存亡の危機」が間違いかというと、「存亡」とは「存続か、滅亡かということ」の意味だから、「危機」に決まっている。「存亡の危機」は、だから「頭痛が痛い」というのと同じで意味がダブってしまうからダメなのだ。ここは「存亡の機」「存亡の秋」というのが正しい言い方であり、「存亡の危機」という言い方は、「存続の危機」と「存亡の機」の混同から生まれた間違いということなのだそうだ。

 言われてみれば、そうなのかあという気にもなるが、なんだかしっくりこない。でも、辞書にも「存亡の機」「存亡の秋」ときちんと用例が載っていて、「存亡の危機」はない。

 誤用ではあるが、かなり広まっている誤用でもあり、それが証拠に問題集自体が「存亡の危機」としているのだ。もう誤用とはいえないのかもしれない。

 それでも間違いは間違い。次の授業で、昨日の話、覚えてる? 「存続の危機」は間違いで、テレビなんて信用できないって話。あれ、実は間違ってた。逆なんだって。(生徒が「ジェジェ!」)よく覚えておくように。テレビなんて信用できないなんて言ったけど、オマエの方がよっぽど信用できないってことだね。お詫びして訂正します、と言って謝った。

 ただ、それはそれとして、意味がダブるからイケナイというのは、オカシイとぼくは思うよ。それに関しては、昔エッセイを書いたので、それを読んでね、なんてちょっと負け惜しみを言うことも忘れなかった。


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