32 「コラ書」のテンマツ  

2013.6.21


 ブログを始めてから、写真を掲載することが多くなり、(というか、写真などの画像を多く載せるためにブログを始めたわけだが)、それと同時に、「一日一書」などというものを始めたものだから、書の掲載も多くなった。そのうち、たまたま、雨に濡れた草木の写真のアップと、「水のいろの湧いてくる」という種田山頭火の句を書いたもののアップが続いたために、その両方がなんか響きあっていてよかったと師匠に言われた。で、ふと思ったのだけれど、いっそのこと、その写真と書を重ねることはできないものか、もしできるなら自分にも方法を教えて欲しいと師匠は続けた。

 そう言われるまで、そんなことは考えたこともなかった。ただでさえ、何となく厳格なイメージのある「書道」である。いくらぼくのヘンテコな字が、展覧会などに展示される光栄を得るようになったとはいえ、その字と写真を重ねるなんて、許されるものではないと思っていた。

 いや、それは不正確だ。正確に言うと、そういう発想そのものがなかった。書は、やはり、紙に墨で書く、白と黒の世界と、そう思っていた。いやこれも正確ではない。そうではない書をたくさん見ていたはずだ。例えば、木原光威先生の雪囲いの杉板に書かれた「雨ニモマケズ」を見て、ああこういう書もあるんだと感動したこともあったのだ。それなのに、写真と書を合わせるということをまったく考えつかなかった。やはり、どこまでいっても常識を破れないのが凡人である。その道に真に秀でた人は、決して枠にとらわれることなんてないのだ。

 師匠からそう言われて、おずおずと「できるはずです。」と答えることしかできなかったが、それは、そういうことをやったことがなかったからだ。写真の方は、それこそ小学生の頃からカメラを手にして撮りまくり、デジタルの時代になったときも、真っ先に飛びつき、それ以来どれくらいのデジタル写真を撮ってきたかしれないし、画像加工ソフトの代表格の「アドビ・フォトショップ」は、バージョンアップする度に何万円とはたいて買ってきたのに、その写真と書を合成するなんてことはしたことがなかったのだ。いわば宝の持ち腐れだったのだ。

 やっていいんだ、そういうことを!

 そう思ったのが運の尽き。というかヤミのつき。それからのぼくときたら、もう何かにとりつかれたように、写真と書の合成、融合をし続けている。師匠から聞いた「デジタル書道」という言葉に興味を持って、調べてみたら「日本デジタル書道協会」なんてものがあることも知ったが、どうも、ぼくのやりたいことはそれとは違う。だから「デジタル書道」とは名乗りたくない。そう思って、ふと「コラボレーション書道」、略して「コラ書」なんてどうかなあとブログに書いたら、「『コラ書』楽しんでます」なんてメールが来たりする。そうなってみると、なんとなく「コラ書」というヘンテコな名称もそれなりに通用するような気がしてくる。

 そのうち、携帯の壁紙にしたいので縦長の画像が欲しいなんていうメールまで舞い込み、そうか、そういう使い方もあるんだなんて思っているうちに、写真と書を送るから、それで展示会のポスターを作成して欲しいという要請が師匠から来た。

 いっそのこと「コラ書センター」とか名乗って、ポストカードなんかを作ってみようかなんて思っていた矢先だったので、まさに「コラ書センター」に舞い込んだ第1号の「お仕事」だったわけだ。(こちらがその「仕事」です。)「コラ書センター」だと何だかよく分からないので「コラ書工房」の方がいいかなあなどと今では思っているけれど、とにかく、あれこれメッタヤタラにやっているうちに、なにかが始まってしまったみたいだ。どこまでやれるか分からないが、こうなったらトコトン追求してみようか。


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