31 凍ってもよし  

2013.6.15


 物心ついた頃には、いつも祖母と祖父の間に寝ていた。父と母は別の部屋で寝ていて、その部屋で寝たという記憶がない。今更母に過去のことをあれこれ聞くのも嫌だから、そのままにしてあるが、どうも風の噂では、ぼくは生まれるとすぐに、母から祖母のもとに奪いとられたらしい。だから、「川」の字になって、父と母の間に寝たという記憶がないのだ。

 幼い頃には、母親が童話などを読んでくれたという記憶を持つ人は多いだろうが、ぼくの場合、その役割はすべて祖母だ。その祖母がよく語ってきかせてくれた話に、ナントカ鳥の話がある。何と言う名の鳥だったか、どうしても思い出せない。ズボラ鳥だったか、ネボスケ鳥だったか、とにかく、実に怠惰でいい加減な鳥であったことは確かだ。

 お話の初めも覚えていないのだが、とにかく、その鳥は、「やるべきこと」をちっともやらない。

 ちょっと余談だが、最近、「今でしょ!」がやたらにはやっていて、授業をしていて、何かの折に「いつ」って言葉を発すると、中1生徒諸君は、瞬間的に反応し、声を合わせて「今でしょ!」の大合唱となる。こんなことだと、「源氏物語っていつ書かれたんだろうね。」なんて聞くと「今でしょ!」って返ってきかねない。だいたい、あの林なんとかという先生の顔が嫌いなので、「今でしょ!」なんて言わせたくないのだが、まったく困ったものである。

 さて、鳥の話だが、その鳥は「今でしょ!」の真逆(これも流行語か)で、「やるべきこと」を先延ばしにしてばかりいる。

 夜になると、その鳥はこう鳴くんだよ、と祖母が言う。「アサオキタラ、スーツクロ。」ちょっと節をつけて歌うように言うのである。つまり「朝起きたら、巣を作ろう。」ということだ。夜になるととても寒い。でも、昼間巣を作るのをさぼっていたので、暖を取れない。そこでその鳥は、「しまった」と反省して、「朝起きたら、巣を作ろう。」と鳴くのだという。

 ところが、寒い夜をどうして過ごしたのか知らないが、朝を迎えると、鳥はすっかり昨晩の反省を忘れてしまって、今度はこう鳴く。「コオーッテモヨシ。」つまり「凍ってもよし。」というわけだ。朝だ朝だ、さあ遊ぶぞ。夜になって凍ってもいいやっていうことで、一日中遊んで暮らす。そしてまた寒い夜がやってくる。すると「アサオキタラ、スーツクロ。」って鳴く。

 このお話に終わりはない。エンドレスである。ぼくは、その話を聞きながら、寝てしまうという寸法である。まあ、この手の話はそれこそ数知れずあるのだろうが、この鳥の話は、祖母以外からは聞いたことがない。祖母の創作だったのだろか。それとも祖母の郷里の静岡あたりの昔話にあったのだろうか。

 祖母は、この話を、こういう鳥みたいになっちゃだめなんだよというつもりで話したのだろうが、子どもの心には、そういう教訓よりも、妙に悲しいメロディーとともに、「コオーッテモヨシ。」と「アサオキタラ、スーツクロ。」の無限循環が頭の片隅にこびりつくことになった。とりわけ「凍ってもよし。」というフレーズは、どこか荒涼とした風景を伴っていて、鳥の置かれた人生のありさまをシミジミと感じさせるものとなっている。

 「今でしょ!」といいながら、一方では「凍ってもよし。」と居直るのも、いや、居直らざるをえないのが人の世の常である。

 中学生の頃から、真面目なドイツ人神父に「やるべきことを、やるべきときに、しっかりやる」という精神を叩き込まれてしまい、結局そこから一歩も逸脱できずに、いまだに息苦しく生きているぼくの昨今の日々をかえりみると、もうちょっと「凍ってもよし。」と居直ったほうがいいという気もしきりにする。

 「凍ってもよし。」は荒涼としているが、「ケセラセラ」のラテン的な楽観論もあることだし。


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