24 思い出に浸る犬 

2013.5.4


 言葉は記号だという授業は、信号も記号だということで終わったわけではない。言葉も信号も記号だけれど、では、言葉と信号はどこか違うか、という高度な問題に突入した。

 「信号は色がついてるけど、言葉にはついていません。」「いやいや、マジックで書いたら色がついてるよ。」「信号は3色しかないけど、言葉はたくさんあります。」「確かにそうだけど、100色の信号を作ればいいんじゃないの。」「え〜、そんなのヒドイ! じゃあ、信号は電気がいるけど、言葉はいりません。」「何言ってるの、パソコンで文章を書くときは、電気がいるもんね。」「あっ、そうだ。言葉は音だけど、信号は色です。」「音の出る信号機って知らないの?」なんてイチャモンつけてると切りがなく意見が出てくる。おもしろい。

 まあ、みんなの言っていることは、別に間違いってことじゃないけど、もっと本質的な違いっていうか、交通信号と人間の言葉のもっともっと根本的な違いって何だろう? 生徒はシーンとしている。

 それはね、交通信号が表しているのは「今」のことだってことじゃないかな。信号が「赤」っていうことは、「今、止まってね。」ってことで、「昨日は、ここは渡ってはいけないのでした。」なんてことじゃないよね。そんな信号、役にたたない。でも、言葉は、「過去」や「未来」を表せる。これが大きな違い。

 最近はさあ、人間だけが言葉を持っています、なんていうと、そんなことはない、動物だって言葉を持っている。人間も自然の一部なのだから、人間だけを特別扱いするのはおかしいなんてことがよく言われるけど、そりゃあ、ちょっとでも犬なんか飼ったことがあれば、彼らも「言葉みたいなもの」を持っているのはすぐ分かるよね。嬉しいときと、どこか痛いときの鳴き声は全然違うもんね。イルカなんかも、相当高度な知能を持っているから、いろいろな音を出してコミュニケーションをはかっているなんてことはもう常識だ。でもね、そういう彼らの「言葉みたいなもの」も、記号としては、信号と同じ部類に属するね。つまり、彼らはやっぱり「今」しか表現できない。犬が嬉しそうにワンワンって吠えるとき、それは「アッシは今、嬉しいんでやんす。」ってことで、「ご主人、昨日は嬉しかったですぜ。」って言ってるわけじゃないよね。

 人間の言葉が、「過去」や「未来」を表現できるってこと、特に「過去」を表現できるってことこそ、何より素晴らしことなんだ。だからこそ、人間だけが「歴史」を持っている。イルカにだって「歴史」はあるって思うかもしれないけど、それは人間が記録した彼らの「進化の歴史」だよね。彼ら自身が自分たちの歴史を持っているわけじゃない。イルカがコミュニケーションをとっているといっても、「おい、危険だぜ。逃げろ。」とか「こっちにエサがあるぜ。来いや。」てなことで、みんな「今」のことだ。イルカが何匹か集まって、「いやいや、昨日は大変でしたな。」「いやほんとに。まったくあんなところでシャチの野郎に出くわすなんざ、シャレになりませんぜ。」「まあ、無事でよかった。」「そういえば、昔、よくジイサンが言ってたなあ。シャチには気をつけろって。」「そうそうウチのバアサンも口ぐせでした。」なんてこと話してるわけないもんね。

 中1は4クラスあるのだが、このうち3クラスまでは、こんな話を「ふんふん」って素直に聞いていた。ところが4クラス目。このイルカの段になったところで、「そんなの分からないじゃないですか。」って語気するどく突っ込まれた。「分からないって言ったって、そうだろ。イルカが昔話なんてするわけないじゃないか。」「どうしてですか?!」「そんなの当たり前だよ。昔話してるなんて証明できないだろ。」「それなら、してないって証明してください!」「そうだ、そうだ。」大騒ぎである。

 こちらがちょっとでもたじろぐと、敵は、もうここを先途と攻勢に出てくる。油断もすきもあったもんじゃない。ここはもう退散だ。証明なんてできないけどさ、まあ、たぶん無理だと思うよ。イルカが昔話するなんてね、と言いながら、そういえば、魚なんか痛みを感じないだろうと思っていたら、どうも感じているらしいなんてことが分かったなんていう話もあるしなあとだんだん弱気になっているうちに終業のチャイムが鳴った。

 イルカはどうかしらないが、昔飼っていた犬が、晩年ひどくぼけてしまって、一晩中玄関の壁の角に頭をつっこんで鳴いていたが、あの時、彼は、ひょっとしたら子犬のころの自分のことを懐かしく思い出していたのではなかったか。まだ彼が元気だったころ、坂道の上から夕陽に染まる町並みを「二人で」ぼんやり眺めていたこともあったが、あの時、彼は、「俺もトシをとったもんだなあ。まあ、いろいろあったけど、結構いい人(犬)生だったなあ。」なんて、シミジミと思い出に浸っていたのかもしれない。そうでなかったなんて、確かに、誰にも証明できやしない。

 でも、ほんとのところ、どうなんだろうか。犬もやっぱり、思い出に浸るのだろうか。


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