22 「あまちゃん」は「朝機嫌」 

2013.4.20


 悪夢のような「純と愛」が終わって、「あまちゃん」も3週目が終了したところだ。

 それにしても、「純と愛」は、いまだに嫌な後味を、舌の奥の方に残している。振り返ってみると、登場人物がみんな「いやな感じ」だった。「いやな感じ」と言えば、その昔、高見順「いやな感じ」という小説があって、かなり読まれたはずだ。ぼくは読んだのだろうか。たぶん読んでいない。丹羽文雄の「嫌がらせの年齢」というのもあったなあ。こっちは読んだ気がするけど、やはり覚えていない。どちらも、「読んでみたい!」って思わせるような本ではないから、発売前から50万部(?)も予約が入るようなどこぞの作家の小説とは大違いだが、しかし、今どきは、むしろ、こういう何かいやな感じのする題名の本こそ読むべきではないか、などと思ったりする。しかし、それも小説の話で、朝ドラなら、「いやな感じ」のドラマなんて見たくない。

 まあ、終わったことをいつまでもしつこくグダグダ言っているのもみっともないから、「純と愛」のことは、これでおしまい。

 「あまちゃん」だ。

 これはいい。少なくとも今の所はとてもいい。「いやな感じ」の登場人物が一人もいない。これこそ、遊川和彦がぶっ壊したかったことなんだろうが、やっぱり朝ドラは、朝見るドラマだから(と言っても、ぼくは録画しておいて、夕方見ることが多いのだが)、「さわやかさ」こそ絶対条件である。

 祖母の口癖が「朝機嫌」という言葉だった。学校への出がけに、ぼくが親や祖母に口答えなどすると、とにかく祖母は「アサキゲン、アサキゲン」と唱えるように言って、機嫌良く家を出て行くように促した。そのくせ、朝以外はどうでもよかったのか、母には年がら年中文句を言って、嫁いびりに専念していた。こういうメチャクチャさは、どうにも我慢のならないものだったが、それはそれとして、祖母の唱える「アサキゲン」という言葉は、お経のように耳の奥に残っている。だから、朝ドラも、基本路線は「朝機嫌」なのだ。

 と、ここまで書いて、果たして「朝機嫌」という言葉はあるのだろうか、祖母の造語ではなかろうかと、ふと疑問に思って調べたところ、日本国語大辞典にはちゃんと項目が立っていて「朝のさわやかな気分。」とあった。(祖母の使い方は、ちょっとずれていたことになる。)用例も、古い俳諧から「すずしさや髪結直す朝機嫌」とあった。いいなあ、この句も。

 「あまちゃん」は、まさにこの意味での「朝機嫌」である。

 ヒロインの能年玲奈が素朴でとても可愛い。こんな役をのびのびやれるなんて、幸せ者である。そう、今まで見た範囲で言えば、役者がみな自分の持ち味を十分に生かして楽しそうに演じている。だから、ドラマ全体に何とも言えない「幸福感」が漂っているのだ。海女たちの、木野花、片桐はいり、美保純、渡辺えりといった女優たちも、ちっとも無理なことはやらされず、生かされている。渡辺えりなんて、サスペンスに出てくると大根女優丸出しなのに、なにしろ東北弁が板についているものだから、ちっとも下手という感じがしない。木野花なんて、青森出身だけあって、もう地味な味でとてもいい。

 そしてもちろん、宮本信子と小泉今日子。宮本も、すっかり落ち着いた感じになっていて、語りも素晴らしいし、演技もいい。小泉今日子もこれが歌手だったの、というくらい、いい感じを出している。

 つまるところ、宮藤官九郎がいい、ということだ。彼は、ドラマが始まる前のインタビューで、「まあ、話の展開というより、まずはそれぞれのキャラクターを好きになっていただければと思います。」というようなことを歯の抜けた口でボソボソ言っていたが、確かに、キャラクターが愛すべき人間、それも嘘っぽくなく、自然に、ああこういう人もいるよなあというリアルさを持っていて、身近に感じられる人間なら、そこからどんなドラマだって展開していくことができる。そのことをちゃんと知っているクドカンはやっぱり偉いや。ガンバレ、クドカン!


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