18 「鼠穴」という落語 

2013.3.23


 「鼠穴」という落語がある。一種の人情話なのだろうが、何と言うか、ちょっと嫌なところのある落語だ。長くなるが、その内容を紹介してみよう。


 田舎に住んでいた二人の兄弟が、親の財産を均等に分けてもらった。兄は江戸に出て商売を始め、それが成功して大店を構えるまでになる。弟は田舎に残ったが、遊び人で、酒だ女だ博打だで、もらった財産も使い果たしてしまう。困り切った弟は、江戸に出て商売でも始めようとするのだが、何しろ元手がない。それで兄のところに行き、商売を始めたいから金を貸してほしいという。兄は、分かった、これを持って行けと言って金を渡してくれる。喜んだ弟は、道すがら、いくらくれたのかと確かめると、何と3文しか入っていない。(3文というと、今では幾らぐらいにあたるんだろうか。たぶん、300円ぐらいじゃなかろうか。いや、もっと安いか。)弟は腹がたったが、一念発起してその3文の金を元手にコツコツ商売をして、とうとうお店を構えるまでになり、商売も順調、使用人もたくさん使うまでになる。

 ある寒くて風の強い晩、弟は、久しぶりに兄のところに行って挨拶もし、借りた3文の金も返してくると言ってでかけて行く。使用人には、今晩は火事が心配だから用心せよ、特に蔵の「鼠穴」はちゃんとふさいでおくようにと言いつける。(この「鼠穴」というのは、鼠がかじって開けた蔵の穴で、これがあると火事の火がそこから入ってしまうのだ。)兄の家に着き、3文の金を返すと、兄は、あの時3文しか貸さなかったのは、もしあそこで何十両といった大金を渡せば、またお前が遊びに使ってしまうと思ったからだ。腹も立ったろう、すまなかったとわびる。弟も、いやいや兄さんは正しかった。今あるのも兄さんのおかけだと言って、兄弟仲良く酒を酌み交わす。夜も更けたので、弟は火事も心配だから帰るというのを、せっかく来たのだから泊まっていけ、もし火事でお前の家が焼けでもしたら、オレの財産は全部お前にやるからと、兄に説得されて、弟は兄の家に泊まる。

 その夜中、半鐘の音で弟は目が覚める。どうも火事は自分の住んでいるあたりらしい。びっくりして家に駆けつけると家は火に包まれている。「鼠穴」はふさいだとのかと番頭に聞くと、忘れましたという。見ている間に、蔵にも火が入り、結局、弟はすべてを失ってしまう。

 それでも、数日後には粗末な小屋を作って商売を始めるが、なかなかうまく行かず、妻も病気で寝付いてしまう。おまけに7つになる娘もいる。そこで、弟は再び兄の家に行き、50両ほど貸してくれというが、兄はとりあわず、はした金を出すばかり。オレの財産はみんなやると言ったじゃないかと言うと、言ったかもしれないがそれは酒の席の話だ、そんなことを真に受けるやつがいるかと、けんもほろろも冷たい態度。

 弟は兄を恨みつつも仕方なく家に帰る道すがら、娘が、私を女郎屋に売ってくれ、まだ7つなので下働きしかない、お店に出るまでに迎えにきてくれればいいからと言う。ケナゲな言葉に、父親もそれじゃあといって娘を女郎屋に連れて行き、20両を受け取って帰る。その帰り道、なんとその懐の20両をすられてしまう。もうダメだ。絶望した父親は首をつって自殺を図る。苦しいと、うなっていると、オイオイと起こされた。兄の家で寝ていて、夢を見ていたのだった。

 という話である。この話を初めて聞いた人は、いったいどこで「これは夢の話か?」と疑うのだろうか。最後まで、疑わず、え? 夢だったの? ってことになるのかもしれない。しかし、たいていは、娘が女郎屋へ行くと言い出したのを父親がそれを受けて連れて行って20両で売ってしまうというあたりで、「なんか、おかしいなあ。」とか「いくら何でもそりゃないでしょう。」とかいった気持ちになるだろうと思う。

 ぼくがこの話を初めて聞いたのは、多分圓生だったとおもうのだが、女郎屋のくだりで、「え?」って思ったことはよく覚えている。まして、その娘を売った20両をすられてしまい、絶望して首をつるという展開は、「え? え?」であった。だから、「夢でした。」ということになったときも、「やっぱりそうか。」と納得したわけだ。

 しかし、それを別の観点からみると、女郎屋のくだりまでは、「え?」って思わなかったということだ。2度目に兄に借金を頼みに行ったとき、兄のぞっとするような冷たい態度も、圓生がやると、ほんとに真実味があって、やっぱりこっちが本心なんだろうなあ、最初に3文しか貸さなかったのも、親心ならぬ兄心ではなくて、ただのケチということだったんじゃないかとすら思えるようなスゴミがあった。

 弟のことを思ってわざと3文しか貸さなかったというのは、いかにも人情話っぽくて、「芝浜」もそんな話であるわけだが、それだけに、リアルじゃない。「いい話」の類だ。しかし、この2度目の兄の冷たさは、兄弟は他人のはじまりという言葉を連想させるところがあり、人間というものが持つ底知れない暗さを感じさせるザラッとした感触がある。それだけリアルなのだ。

 現実の方が「お話」っぽくて、「夢」の方がリアルだという構図が、この「鼠穴」という落語にはあって、そこが、落語としてはなにか「嫌な感じ」を持つ所以であろう。

 実は、「純と愛」のことを語るつもりで、「枕」としてこの「鼠穴」を引き合いに出したのだが、あまりに長くなってしまったので、この続きは次回にしたい。そのころには「純と愛」も、めでたく(?)終わっているだろうから。ただ、今日見た限りでは、結局「イトシ君が、『ねむり姫』なのでした。」ってなことなのかなあと思っている。さて、どうなんだろうか。


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