16 趣味と金 

2013.3.9


 金のかからない趣味がいいなあと思ってきた。けれども、なかなかそうもいかない。

 趣味というと品がいいが、道楽というと途端に品がなくなる。道楽といえば、昔から、飲む・打つ・買うと三拍子と決まっていた。噺家の「三遊亭」というのは、この三つの遊びをさすらしい。ついでにいえば、「三笑亭」とうのは、もともと「山椒亭」で、「山椒は小粒でぴりりと辛い」から来ているらしい。

 それはさておき、この三つの道楽は、いずれも金がかかることこの上もない。「打つ」と「買う」のどちらが金がかかるか、経験がないので知らないが、どちらものめり込めば、とんでもない金が出て行くだろう。たぶん、「打つ」が最高に違いない。そこへ行くと、「飲む」は、程度によってだいぶ違うだろうが、それほどメチャクチャに金のかかるものでもなさそうだ。ちなみに、ぼくがやるのはこの「飲む」だけだが、外で「飲む」にしても、せいぜい月に1、2回。家では、晩酌で日本酒1合こっきりというのだから、「酒飲み」の風上にも置けないヤツである。

 遊びの王者は、結局は「打つ」になるのだろうが、競馬、競輪、競艇から始まって、海外のカジノから、賭け麻雀まで、とにかく「賭け事」とはまったく無縁の人生を送ってきたぼくには、遊び人の資格はなさそうだ。そんな資格など持っていても仕方がないが、どこか、ふつうの大人じゃないような気もする。「賭け事」の中で、ちょっとだけやったというのは、パチンコだが、それも学生時代にちょこっとやって、100円すっただけで「わっ、損した。」なんて思うものだから、結局、生涯パチンコに費やした金は、1000円ぐらいのもの。これがぼくが「賭け事」に使った金のほぼすべてだ。もちろん、宝くじも1枚も買ったことがない。

 ことほど左様だから、「金のかからない趣味がいいなあ。」などとケチなことを考えるのである。

 しかし、そうはいいながら、趣味・道楽には、相当の金をつぎ込んできたことも確かなのだ。たとえば、カメラ。フィルム時代からデジカメ時代に至るまで、どれくらいのカメラやレンズを買ってきたかは数え切れない。それでも、まあ20〜30台ぐらいのものだろうから、ほんとうのカメラマニアには遠く及ばない。

 写真を本格的にやると、どのくらい金がかかるかは、家内の父を見ていて実感し、本格的な写真には近づかないように用心してきた。本格的な写真というのは、たとえば、大判のフィルムカメラを使って、風景写真を撮るというようなことだ。カメラ自体が大型のカメラだから、もちろん高いが、問題は交通費や宿泊費だ。風景写真はそこへ行かないと撮れないから、これが大変なのだ。フィルム代、現像代、引き延ばし代、などはもちろん膨大だが、これに「個展」などが加わると、もうとんでもないことになる。

 水彩画は、自己流でずいぶんと描いてきたが、これなどは、金のかからない趣味と言えるだろう。ぼくが描いてきたのは淡彩だから水彩絵の具がほとんど減らない。大学時代に買った固形の水彩絵の具などは、まだ半分も使っていない。紙も、高いのもあるけれど、たかが知れている。ただ、これも、風景画となると、旅費が問題となる。水彩画を始めた人が、わりとすぐに海外へスケッチに行ったりするが、こうなると大変だ。しかも帰ってきて「個展」などとなると更に出費がかさむというわけだ。

 書道を始めたころ、これは金がかからなくていいなあと思ったのは、この「旅費」が要らないということが大きな原因だった。水彩スケッチが行き詰まってしまったのは、あまりに旅行に出かけないので、描く材料がなくなってしまったということが大きかった。もちろん、横浜とか鎌倉とか描いていればよかったのだが、だんだん飽きてしまったのだ。かといって、たとえば、フランスの田舎へ行くなんてことは、金はともかく、飛行機に乗れないから土台無理な話だった。

 しかし、書は、どこへも行かなくても書ける。何しろ、字なんだから、旅費はいらない。墨も固形だから、水彩絵の具と同じで、あまり減らない。紙もたいしたことなさそうだ。硯は新婚旅行で行った那智で記念に買ったものがあるし、これがすり減る気遣いもない。筆も数本あれば事足りる。文鎮なんか石でもいい。

 なんて思っていたのが、大間違いだった。昔から「文房四宝」ということばあることは知っていた。紙・墨・筆・硯の四つである。しかし、そんなのに凝るのは専門家で、ぼくなんか関係ないと思っていたのだ。ところがどっこい、そういうものでもなかったのだ。

 この続きは次回。


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