15 謝りながら感謝する 

2013.3.2


 久しぶりに卒業式に出た。定年退職後、非常勤の講師となってからは、卒業式には出ても出なくてもよいということになり、それをよいことに定年後は出なかった。どうも式と名のつくものは苦手なのだ。この点では生徒とまったくレベルが同じだ。だから出なくてもよいと言われれば、出ないという選択肢を選ぶのは、もう当然のことだ。だから、定年後は、卒業式どころか始業式も終業式も創立記念式典も一度も出たことはない。

 けれども今回の卒業生は、中1、中2と続けて担任をした。その上、担任こそしなかったが、中3で教え、さらに高2でも教えた。(中高一貫校なので)4年間、この学年にかかりきりだったのだ。それだけかかわりが深ければ、いくら薄情なぼくでも思い入れがある。そういうわけで「久しぶりの卒業式」だったのだ。

 つぎつぎと壇上にのぼって卒業証書をもらう生徒を見ていると、6年前の中1のときの姿や顔がありありと思い浮かび、こんな忘れっぽいぼくでさえこうなんだから、親御さんたちの感慨はいかばかりかと思うと、胸に迫るものがあった。

 卒業祝賀会でも、生徒や親御さんたちから、感謝のことばをたくさんいただいたが、ぼくがこの4年間でいったい何をどうしてきたのかは、あんまり詳しく覚えていない。

 母親の中に、ぼくが都立高校時代の教え子がいた。彼女が挨拶に来て、「先生の漢文の授業がものすごく面白くて、その影響で国語の教師になってしまいました。」と言う。とっさに「え? それは申し訳なかったです。」という言葉が口をついて出た。それは「教師なんていうめんどくさい仕事に巻き込んで申し訳なかった。」という意味でもあったが、それ以上に「あんな授業で申し訳なかった。」という意味でもあった。というのは、ぼくが一番教えるのが苦手なのは、漢文だからなのだ。

 今回の卒業生にも、高2のとき漢文は週1時間だけ教えたが、やはりあんまりうまく教えることができなかった。ある生徒に「受験に役立たなかった。」なんて言われてしまったが、その生徒の努力が足りなかったということを差し引いても、やはりそうだよなという納得がぼくにはあったので、「ゴメン」と謝ったぐらいなのだ。

 そういうぼくが教えた漢文が「面白くて」、その生徒の「人生を変えた」と言われると、まずは「申し訳ない」としか言えない。もう30年以上前のぼくがいったいどんな漢文の授業をしていたのか、ほとんど覚えていないが、だいたいの想像はつく。入試に出そうな「漢文句法」などはまったく無視して、李白や杜甫の漢詩やらに自己陶酔しながら解説したり、蘇軾の「前赤壁賦」を丸暗記させてみたり、老子はすごいぜ! みたいなことを叫んだり、まあ、若気の至りで、やりたい放題だったのではなかろうか。

 その高校だって、都立の進学校だったから、大学入試対策をしなければならなかったはずなのに、そのころのぼくは「受験対策」なんてハナから考えていなかった。そんなのは教育じゃないって思っていた。今でも基本的にはそうだけど。

 そんなメチャクチャな授業が、生徒の人生を変えることもある。考えてみればソラオソロシイことである。でも、ぼくは人の人生を変えようなんて思ったことはない。むしろ、変えようなんて思ってはいけないのだと思ってきた。変わるのは、その人自身が、その人の意志で、変わるのだ。影響を受けるのは、影響を受けるだけの「素地」があったからだ。

 ぼくらは、それこそ無数の人たちの言葉や行いに接して、毎日毎日少しずつ変わっている。ものすごい大きな変化をもたらす「決定的な言葉や人」ばかりがぼくらを変えるのではない。少しずつ、知らないうちに、変わっていく。誰の影響か気づかないことのほうがむしろ多いのだ。教師というのも、その変化をうながす、ほんのひとつのきっかけに過ぎない。だからこそ、ぼくのようなものでも、何とか教師をやってこられたのだ。

 卒業していく生徒を見ていると、謝りたいことばかりだ。そしてそれ以上に、感謝の気持ちでいっぱいだ。謝りながら、感謝する。そんな仕事が教師の仕事なのかもしれない。不思議な仕事である。

 

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