14 何ごとも奥が深い 

2013.2.23


 知人が席亭をつとめる「弁天寄席」の2回目が先日、江ノ島のほうであった。今回は、柳家ろべえさんに来ていただくということで、取るものも取りあえずでかけた。ろべえさんは、まだ二つ目だが、最近メキメキ力を伸ばしている実力派だ。柳家喜多八師匠のただひとりの弟子である。去年、中学1年生対象の落語会にも来ていただき、大盛会となったことは前に書いたとおりだ。

 今回も、「のめる」「芝居の喧嘩」の2席を熱演。とくに、「芝居の喧嘩」は、かれの大きくてきっぱりとして声が生かされた好演だった。

 この落語会は、小さなレストランを借りてやっているので、定員が30名という小規模なものだが、他と大きく異なるのは、落語研究家の山本進先生のお話や、山本先生と噺家さんの対談が、落語の他にあるということだ。山本進先生については、今までも何回か書いたとおり、落語研究の第一人者であり、落語に関する著書も多数あるだけでなく、およそ今の噺家で、この人を知らない人はいないという方である。

 今回は、前回の「落語の誕生」に続き、「噺家の誕生」というテーマ。用意されてきたビデオがトラブルがあって使えないということで、じゃあ、退屈でしょうけど、私が全部おしゃべりするということで始まった「講義」は、いやー、そうだったのか、ということの連続で、実に興味深いものがあった。今までずいぶん落語を聞いてきて、また学校の方での「落語ゼミ」での山本先生のお話も相当聞いてきたのに、それでも、知らないことばかりだった。

 「講義」は30分の予定だったらしいが、気がつくと50分。あっという間の時間だった。高校生のころ、授業中に寝てばかりいて、ずいぶん先生に叱られたものだが、今回は眠気すら起きなかった。高校生のころと比べてもしかたないが、やはり、興味のあることというのは、思わず吸い込まれるということだろう。

 最後に山本先生が、この辺の事情についてもっと詳しく知りたいかたは、東大落研の後輩が書いたこういう本がありますから読んでください、と言って紹介したのが、延広真治著「江戸落語 誕生と発展」(講談社学術文庫)という本だった。もっと知りたいと思ったので買って読んだ。

 ここでも、ふ〜ん、そういうことだったのかあ、の連続。近世文学についても、いちおうの知識はあるつもりでいたが、とんでもない。まったくの無知に近いことがよく分かった。

 この本の中で、昔の日本では、話を語り、それを聞くという機会が今よりもずっと多かったのだという指摘には、ハッとさせられた。思えば源氏物語も、平安時代の人は「読む」よりも「聞く」という形での鑑賞が多かったということはほぼ定説である。「平家物語」などは、琵琶法師によって語られ、人々はそれを聞いて楽しんだわけだ。

 「噺家」という仕事も、改めて考えてみると、なかなか面白い。「まあ、ワタクシどものほうはってえと、座布団のうえにちょこんと座って、てぬぐいと扇子持って、いいかげんなことをパーパーしゃべっていればいいという、まことに気楽なことでして……」なんて噺家はよく枕で言うわけだが、こうした「気楽」に見えることが、実は江戸時代から連綿として受け継がれてきたのだということを思うと、落語ひとつとっても、その奥は無限に深いことが実感される。こういう深みに、少しずつでも入っていけたらと思う。

 

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