9 悲喜こもごも、落語会 

2013.1.19


 正月10日。横浜の「にぎわい座」へ、「睦会」の落語を聞きに行った。「睦会」というのは、柳家喜多八、瀧川鯉昇、入船亭扇遊の3人の会の名称である。実力、人気ともに兼ね備えた豪華メンバーだが、派手さはなく、通好みといった風情で、しかも3人の個性がまるで違うので、いつ聞いても楽しめる会である。

 家内と開演の30分前予約していた前の方の席に座っていたが、15分ぐらいたったとき、後ろの方から何やら異様なざわめきが聞こえてきた。何かあったのかと振り返ってみると、20人ほどのオヤジの集団がどっと入ってきたのだった。オバサンもちょっと交じっている。みんな上機嫌で、というよりは、かなり酒が入っているとみえて、とにかくガヤガヤしている。まるで修学旅行の高校生の一団が紛れ込んだような騒がしさである。

 落語会に集団で来てはいけないなんて法はない。どっとお客が入れば、興行側にしてもありがたいことだろう。しかし、酒の入ったオヤジの集団というのは、どうにも始末におえないシロモノである。

 東京での仕事の帰り、夜遅く京浜東北線などに乗ると、もういたたまれない。若い連中の仕事関連の愚痴も聞き苦しいが、まあそれでも若いうちから大変だよなあという同情も交じるから何とか我慢できるけれど、還暦を過ぎたようなオヤジとジジイの境目のような酔っぱらいのだみ声と下品な笑い声にはどうにも耐えられないから、すぐにiPhoneなりiPodなりの音楽でシャットアウトする。もっともそういうときは、大抵こっちも酔っぱらいなのだが。

 電車は、それでも仕方ないかということはある。しかしこれが落語会となると、ちと事情が違う。どんなに混んでいても、くる客はたいていは1人か、2〜3人連れである。だから、こんなざわめきは起きない。だからこそ、ぼくは驚いて振り返ったのだ。

 ああ、いやだなあ、こんな連中と一緒に聞くのかと思っているうちに、開口一番。前座さんの登場だ。お正月なので、「みなさま、あけましておめでとうございます。」との挨拶がある。すると、このオヤジの集団から、数人のオヤジたちが声をそろえて「おめでとうございます。」との声。これだって、別に悪いことではない。けれども、酔っ払っているうえに、集団で来ていることで調子に乗っているのが手に取るように分かる。まるでガキだ。不快である。

 けれども、実は、その後、もっとひどいことが起きた。それを起こしたのは、そのオヤジの集団ではない、別の人間だった。

 前座さんの話は「金明竹」。その話の、ちょっとしたシャレに対して、「なんだ? わからねえな。」というだみ声が飛んだのだ。明らかに酔っぱらいのジイサンだ。どうやら一緒に来た人に話しているらしい。確かに分かりにくいシャレだったが、それをそのまま口に出してしまう。困ったことになったなあと思っているうちに、次の瀧川鯉昇の高座となった。

 この鯉昇師匠というのは、登場して、お辞儀をするとき、やや長目に(といっても5秒ぐらいなのだが。)お辞儀をして、なかなか顔を上げない。やがて顔をあげると、ギョロ目をパッチリ開いて、何ともいえない微妙な笑顔を浮かべるが、声を出さずに観客の方をしばらく(といっても7秒ぐらいのものだが)、呆然と眺める。この「間」が何とも言えずおかしくて、場内からはクスクスという笑いがもれる、というのが「お約束」なのだ。そしてこの「間」の後、表情を変えずに語り出される枕が長くて、ある意味くだらなくて、面白い。このあたりが、まず鯉昇師匠を聞く醍醐味なのだ。

 ところが、その酔っぱらいのジイサンは、例によって、会場からクスクス笑いがもれたとき、「なんだ、座ってるだけで、笑ってやがら。」と言ったのだ。場内はクスクス笑いが聞こえるくらいだから、シーンとしてこの「間」を楽しんでいるのだから、この声は、場内にはっきりと聞こえることとなった。

 この時ほど、落語を聞いていて、嫌な気分になったことはない。鯉昇師匠もどんなにかやりにくかったかしれないが、しかし、そこはプロ、こんな目には何度も合っているのだろう、まったく動ずることもなく、枕を語っていたが、その途中でも「いつまで、こんなことを話してるんだ。」というような声が聞こえてきた。

 次の喜多八師匠の「夢金」でも、ちょっと声を潜めた部分になると、「聞こえないなあ。」と隣につぶやく。しばらくすると、なんと今度はバアサンの声で、「寝ちゃダメだよ。」

 もう最悪である。

 中入りとなったとき、いったいどんなヤツだろうと振り返ると、そのジイサン・バアサンの席のところに、4〜5人の常連の客たちが群がり、「いったい何やってんだ!」「迷惑だろ!」とすごい剣幕で詰め寄っているところだった。ジイサンはもう泥酔状態で、場内係の人に「少しあちらでお休みになってください。」と言われてバアサンともどもロビーへと連れ出されていった。

 そんなわけで、中入り後は、おちついて落語を聞くことができたのだが、あのジイサン・バアサンはどうしたのだろうか。後半の落語は聞かずに、トボトボ家路を辿ったのだろうか。

 後で考えてみると、なんだかその二人の老人が可哀相にも思えてきた。金持ちそうでもなかったから、多分、お正月だから落語でも聞きにいこうかということで、前売りのチケットを買ったのだろう。あるいは、娘がチケットをプレゼントしてくれたのかもしれない。(そうだ、絶対そうに違いない。)開演は7時だから、その前に食事をしようということになったのだろう。そして食事をしながら、つい酒を飲み過ぎてしまったのだろう。そこまでは、二人にとって、どんなに楽しい時間だったことだろう。落語を聞くのも、ひょとしたら初めてだったのかもしれない。娘は、落語なら気楽に楽しめるだろうと思って、プレゼントしたのかもしれない。本人たちも、楽しみにワクワクして会場に入ったのだろう。

 ああ、それなのに……。

 正月の、庶民の悲喜こもごもであった。


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