6 年末所感 

2012.12.29


 今年もあっという間に年末である。今更こんなことを言ってもはじまらないが、やっぱり歳をとると月日の流れが尋常ではない速さとなる。これを何とかして食い止めようとして、人はいろいろなことをやり、短い命を充実感で埋め合わせようとするのだろうが、それもみな何だか無駄なように思える。充実している時間そのものは長く感じられもするのだが、それが終わって後から振り返ると、急行電車が通過する駅みたいに何があったんだか、たいして記憶にも残らないというような気がしてしまう。

 今を生きればいいんだと、それこそ何度も何度もいろいろな人がいろいろなところで言っているが、そしてそういう言葉を聞くたびに、そうだ、そのとおりだと思うけれども、はたしてそれで本当に問題が解決するのだろうかといつも疑問に思う結果となる。「今を生きる」ということは、聞こえはいいけれど、もちろんそれは単なる刹那主義・享楽主義に直結していて、その落とし穴に落ちずに「今を生きる」ことは非常に難しい。どうしても「先のことはまあいいじゃないか。今が楽しければそれでいいんだ。」といった俗っぽい人生観になってしまう。

 それで悪いというわけではないが、何かどこか違うなあという気もする。夜、床につくと、ああもうすぐ人生も終わってしまうんだなあという考えがポカリと浮かんできて、ひどく悲しい気分になったりするのも、「今を生きる」では、人生の問題は解決しない証しだろうと思う。

 「今を生きる」という生き方が、ほんとうの意味で真実の生き方となるのは、「永遠なる今」ということが信じられていなければならないのだろうと思う。「永遠」というのは、日々の時間の行く手にあるのではなく、「今」がすなわち「永遠」であるということで、これもいろいろな人がいろいろなところで言い続けてきたことだけれど、それを「そうだ、そのとおりだ。」と心の底から納得して、そのことを土台として人生を築いていくということも、やはり難しい。難しいけれど、それしかない、という気がする。

 まあ、そんなことを埒もなくグダグダ考えているうちに、今年も終わろうとしているわけだが、今年は、では具体的に何をしてきたのか。自分の心覚えのために書いておく。

 学校では、非常勤の講師となった2年目で、中1の現代文をはからずも担当することになった。ある意味で、中1の現代文は大変なのだが、意外に楽しくやれたのはほんとうに幸せだった。体は疲れたが、心は若返ったといったところだろうか。2学期に、柳家ろべえさんを招いて落語会を開催できたのも収穫だった。授業で扱った宮澤賢治の「オツベルと象」、ヘッセの「少年の日の思い出」の2作品も、思い通りとはいかないまでも、自分なりの授業ができたように思う。

 書道では、前年から取り組んできた空海の「灌頂記」の原寸臨書を完成させた。春の現日選抜書展(国立新美術館)には、伊東静雄の「わがひとに与ふる哀歌」を、夏の現日書展(東京都美術館)には、宮澤賢治の「青森挽歌」を出品した。寄席文字に挑戦したことも新鮮だった。

 芝居は、1月にキンダースペースの「金色夜叉」、3月にキンダースペースの「三者三昔物語」、6月にキンダースペスの「モノドラマ」の「林芙美子・骨」「太宰治・粋人」「山本周五郎・プールのある家」「森鴎外・高瀬舟」「芥川龍之介・雛」「織田作之助・雪の夜」「江戸川乱歩・押絵と旅する男」「宮澤賢治・虔十公園林」「菊池寛・藤十郎の恋」を2日がかりで観た。芝居は結局キンダースペースだけだった。

 落語も結構聞きに行ったし、久しぶりに生のオーケストラも聴いた。旅行は、9月に義父の一周忌で高知へ行った。展覧会は、「青山杉雨の眼と書」(国立博物館)、「シャルダン展」(三菱一号館美術館)、「ジョルジュ・ルオー アイ・ラブ・サーカス展」(パナソニック汐留ミュージアム)を見たが、それぞれ非常に素晴らしかった。

 まあ、そのほか、交友関係とか、教科書関係の仕事とか、いろいろあったわけだが、このくらいにしておこう。何にもしないうちに終わったようで、こう挙げてみると、結構いろいろあったじゃないかという気がしてくる。そう思っておこう。

 来年は、書道を中心にして、写真の方もやりたいなと思っている。せっかく写真専用のブログを作ったのに、旧作ばかりじゃ能がない。今までは、水彩画の題材として写真を撮ることが多かったので、もっと違う写真が撮れればいいなと思っている。


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