2 笑い転げて 

2012.12.1


 専任の教師だったころは、忙しかったのか、ただ面倒だったのか、とにかく授業をこなすのが精一杯で、授業時間を使って何かイベントのようなものをやるなんてことはほとんどなかった。もちろん、ビデオを見せるとか、ぼくの下手な朗読テープを聴かせるとか、まあその程度のことはやったけれど、あくまでその程度のことだった。

 それが、定年になってはや3年、週に3日勤務の非常勤講師という結構な身分になった今、急に教師としての使命というか、教育者としての自覚というか、そういうふうな変な感情がどこからかフツフツと湧いてきたとでもいうのだろうか、授業時間を使って、落語会を開催するなんてことを思いついてしまった。落語会というのだから、ビデオで落語を見せるなんてチャチなものではない。ちゃんとプロの噺家を招いて、きっちりと落語を聴かせるという企画である。日本の伝統的な話芸を何とか若い世代に伝えたい。落語を生活のなかに根付かせたい。そういうモクロミである。

 毎週「高1ゼミ」の講師として学校にいらっしゃっている山本進先生と相談して、噺家の方は、柳家ろべえさんに来ていただくこととし、日程も、11月27日の午後、5・6時間目を全部使ってやることにした。もちろん観客は中1生徒全員である。

 こんなふうに書くと、いかにも「教師の鏡」みたいに聞こえるかもしれないが、最初の発想は、授業をしなくていいから楽だ、というところにあったことも事実だ。しかし、いったん企画が動き出すと、そんな生やさしいものではなく、こんなことなら授業の方がよっぽど楽だということになったわけだが、そんなことは初めから、2、3秒考えてみればすぐに分かることなのだった。

 ろべえさんが来てくれて、2席ほど落語をやってくれれば、それで落語会になるのかというと、そういうもんでもない。まず、会場の設営がある。200人ほど入る小講堂が会場だが、それを寄席っぽくしなければならない。ならない、と決まっているわけではないが、やるからには、そうしたいではないか。

 高座を作る。そのためには大きな木の台を用務の人に頼んで運んでもらわねばならぬ。台の上に敷く緋毛氈(といっても単なる赤い大きな布だが)は社会科から借りる。座布団も借りる。めくりを書く。自分で書く。マイクをセットし、音量を調節する。山本進先生にお話をいただく内容を考える、などなど……。

 当日、何とか、そのすべてをやりおえて、それでもなお心配だったのは、果たして中学1年生に、落語がどこまでウケルのかということだった。だれも笑わなかったらどうしよう。途中でみんな寝てしまったらどうしよう。それでも、ろべえさんはめげずにやってくれるだろうか、などなど、不安はまるで富士山の湧き水のように湧き出てくるのであった。

 しかし、すべては杞憂であった。ろべえさんの落語は、前半は「のめる」、後半は「転失気」と「子ほめ」を連続で。どれも、予想を遙かに越えるバカウケであった。生徒は、それこそ、椅子から転げ落ちそうになって大笑い(というかバカ笑い)した。こういう雰囲気の落語会は、今までぼくは経験したことがない。おかげで、ぼくまで、ゲラゲラと思い切りバカ笑いできた。実に楽しかった。最初のモクロミなんてもうどうでもいい。というか、これなら十分に達成だ。

 終わってから、ろべえさんが言った。「ぼくは子ども相手に話すのが一番好きなんです。子どもの笑いは素直ですから。」そうだなあとつくづく思った。大人になると、おかしくても笑わないということがよくあるものだ。寄席などに行くと、こんな程度で笑ってなるものかってな顔をしているジイサンなどをよく見かける。あんなのは、ただかっこつけてるだけなのだ。

 おかしかったら笑う。思い切り笑う。笑い転げる。そうやって、どこまでも、どこまでも、地球の果てまでも、笑い転げていきたいものだ。


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