1 迷走し続ける日々 

2012.11.24


 江ノ島の近くの小さなレストランで、落語会を新しく始めるという知人が、ぼくに「めくり」を書いてくれないかと頼んできた。ぼくの書道作品を展覧会で見て、ああいう字でお願いしたいというのだ。それはできません。ああいう字は、かたまりになっているから何とか見られるので、単品で使ってめくりになんぞしたら、それこそみっともないことになりますから、と断りながら、頭の片隅で、それなら寄席文字を書けばいいじゃないかとささやく声が聞こえた。

 それで、ぼくのああいう字はダメですが、寄席文字なら何とかします、って答えてしまった。それが10月の半ばごろ。落語会開催の1ヶ月前だった。引き受けた以上、何とかせねばならない。寄席文字の本があるだろうから、それをコピーして拡大すれば何とかかっこはつくかもしれないが、それじゃ芸がなさすぎる。寄席文字の書き方を説明している本はないだろうかと探してみたら、ちゃんとあった。

 さっそくその本を買ってみると、かなり詳しく書いてある。それを見ながらちょっと書いてみたら、なんだかそれらしい字が書けた。これはいける、と思って、寄席文字の集大成者である橘右近の書いた「寄席文字字典」まで買い込んだ。この本はすでに絶版で、1万円もしたが、こうなったら行くとこまで行くしかない。

 最初は、書道で使い古した筆を使っていたが、本をよく読むと、隈筆(別名、だるま筆)という日本画用の穂先の短い筆を使うのだという。これも大、小の二本を買った。墨汁も、なるべく濃いものというので、「超濃墨」と書いてある墨汁を買った。紙は、模造紙である。和紙に書くとにじんでしまうので使わないのだ。

 書き方が、今習っている書道とは、何かにつけて反対である。とにかく、「にじみ」「かすれ」は絶対ダメ。線もなるべく同じ太さで、しかも太く書く。起筆は、あくまで丸くなるようにする。しかも、書いた後で、補筆してもよい。

 小学生の頃、習字の時間によく言われたものだ。「ペンキ屋さんは、ダメですよ。」

 ペンキ屋さんは、看板の字を書くとき、刷毛を使ってペンキで書くから、一筆では完成しない。必ず、なぞって書いて完成させる。これが補筆である。もちろん、普通の書道では、基本的には補筆はしない。(ちょっとならすることもあるが。)だから先生はいつもそう言ったのだ。

 ぼくの祖父はペンキ屋で、しかも、風呂屋の背景画や、看板の字を書くことを専門にしていたので、字を書くときはいつも補筆していた。先生から「ペンキ屋さんは、ダメですよ。」と言われるたびに、幼いぼくがいちいち傷ついたわけではないだろうが、何だか嫌な感じはあったように思う。ひょっとしたら、それがぼくを長いこと書道から遠ざけていた原因のひとつだったのかもしれない。

 そんなことを思い出しながら、何とか一ヶ月以内に、「弁天寄席」「柳家喜多八」「山本進」の3枚を完成させた。柳家喜多八さんは、ぼくと同い年で、柳家小三治の弟子。通好みの人気噺家である。山本進先生は、知る人ぞ知る、落語研究の第一人者である。こんな恐れ多い方々のお名前を初心者のぼくのような者が書くというだけで緊張してしまい、おおげさではなく書く手も震えたのであった。

 それにしても、文字をかっこよくするために、少しずつ補筆をしていると、自分の手に祖父の手が重なるような妙な気分になったのには驚いた。ああ、こんなふうにジイサンは書いていたっけなあ。そうしみじみ思った。

 オレは、ほんとうはこういう仕事が性に合っているんじゃないか。人間を相手にする仕事が向いていると思って教師になったけれど、ほんとうは人間関係がめんどくさくて、苦手なんじゃなかったのか。職人こそ、自分の歩むべき道だったんじゃなかったか。

 60の峠をとっくに越えて、なお、迷走し続ける日々である。


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