96 春はバスに乗って

2011.4.15


 大船にある栄光学園に30年近く通ってきたが、そのうち20数年は車で通っていた。そもそも都立高校から今の学校に移るきっかけのひとつは、東京までの電車通勤が、腰痛持ちのぼくにはとても辛くて、車で通える学校がいいなあということだった。だから雪でも降らないかぎり、車通勤はほとんど絶対的な習慣だった。授業のある日の夜に大船で宴会などがある場合でさえ、車で学校に来て、いったん車で家に帰り、改めて電車で大船まで出直すといった徹底ぶりだった。

 しかし数年前、ある事情があって車通勤をやめた。だいたいがいい加減なぼくだが、いったん決めたことは案外頑固に守るところもあって、それ以来この春まで一度も学校に車でいったことがなかった。この春休みに、どうしても同僚の先生に蔵書の一部をもらってもらいたくて、その本を運ぶために禁を破って一度だけ車で学校に行ったが、これがきっかけになって、またぞろ車通勤に戻るということはないだろう。

 9.11が世界を変えたように、3.11もまた世界を変えた。少なくとも、ぼくの生活を変えた。そうでなくても、4月からはこれまで40年近くに渡って専任の「教諭」だった肩書きが、「講師」となるという大きな変化があった。その上に、3.11である。

 週3日の講師ということになると、定期代が支給されない。自腹で定期を買うと、足が出てしまう。交通費は実費支給となるので、早い話が、どういう経路で通勤してもかまわないことになる。定期がないのは、こうした自由を与えてくれることに初めて気づいた。

 今までは、京急上大岡駅から、横浜地下鉄に乗ってJRの大船駅まで行くというのが通勤経路だった。ところが、今回の大地震の当日、帰宅途中の生徒がJR東海道線に車内で地震にあい、2時間車内に閉じ込められ、挙げ句の果てに、電車から降ろされ、大船の次の戸塚まで歩かされたというような話を聞いて、電車は速いけど、いったん止まると勝手に降りるわけにもいかないなあとつくづく思った。それでも東海道線なら外の景色も見ることができるから、気も紛れるだろうが、地下鉄で閉じ込められたら嫌だなあとも思った。高所恐怖症のぼくはまた閉所恐怖症でもあるのだ。

 地震以来、初めて学校に行くとき、やはりどうしても地下鉄が嫌だった。閉じ込められる恐怖があったからだ。それで、バスを使ってみることを考えついた。上大岡駅から、JR根岸線の洋光台駅までのバスがたくさん出ているので、それに乗って洋光台駅まで行き、そこから大船駅まで行った。結構快適だった。しかしそれでも電車を使うことになる。

 そこで思いついたのが、上大岡駅から大船駅までバスで行くという経路だった。

 実は、何を隠そうこのバス路線は、ぼくが栄光学園の生徒だったころ通学に使っていた路線なのである。そのころは、ぼくは上大岡に住んでいたのではなく、バス停で言えば吉野町3丁目近くに住んでいたので、そこから大船まで延々とバスに揺られて通っていた。当時は道幅が狭かったが、渋滞もなく、遅刻したこともなかった。バスにはおそらく50分ぐらい乗っていたはずだ。そして、このバス通学が、今の家内との出会いを生み、今に至るという、まことに由緒正しい「経路」なのである。

 それなのに、なぜ今までその経路を使おうともしなかったのかと言えば、当時とはまったく交通事情が違うから、渋滞もひどくて使い物になるはずがない、第一、上大岡駅から大船駅行きのバスなんてそんなにあるはずがない、そう思い込んでいたからである。30年間、そう思い込んでいたのだ。

 ところが、今回、試しに乗ってみると、何と言うことであろうか、朝も早いせい(上大岡駅を6時50分に乗車)か、道はガラガラにすいていて、渋滞もまったくない。大船駅まで30分ほどで着いてしまうではないか。しかも帰りはさすがに夕方に近いので渋滞もあるだろうと思っていたら、これもまったくない。バスの本数もたくさんある。

 こうなると、毎日バスで通勤するのが楽しみになってきた。高校生のころとは窓外の風景はまるで違っているが、昔と変わらない名前のバス停もたくさんある。そういう名前を聞くと、突然、高校生のころにタイムスリップしてしまうような感覚におそわれる。懐かしい。

 窓の外は、春の光がいっぱいだ。不安にさいなまれる日々は依然として続いているが、バスは力強く頼もしく走っていく。

 

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