89 「買いだめ」じゃなくて「節電」だ

2011.3.16


 今日はもう、近くのイトーヨカードーには、もうトイレットペーパーも、ティッシュペーパーも、生理用のナプキンも、全部ないそうである。あれだけテレビでやめるようにと言われているのに「買いだめ」が始まっている。3日前には、懐中電灯も、単1の乾電池もどこにもなかった。でも、紙類はあった。

 昨日、15日の夜の静岡県東部を震源とする最大震度6強の地震には、さすがに度肝を抜かれ、すわ今度は東海地震かと誰もが思ったに違いない。気象庁は関係はないと明快に否定したが、昨今の公式の発表はだんだんかつての大本営化しているようにも思えるから、「買いだめ」に走るのも無理もないかもしれない。しかし、やはり、今、誰を助けなければならないのかを、考えなければならない。

 連日のように、政府から「節電のお願い」が携帯に直接届く。若者はツイッターなどで「ヤシマ作戦」と称して、それぞれが懸命に節電しているようである。ツイッターを何となくうさんくさく思っていたが、なかなかいいなあと思った。我が家でも、ぼくはいつも電気をつけっぱなしで、いつも家内に怒られていたのだが、こうなったら徹底的に節電だ。

 昨日も、そういう節電の最中だった。とはいえ、夜になり、暖房もつけて、テレビもつけてニュースを見ながら、これも節電には反するなあと思いながらマッサージチェアで疲れ切った体にマッサージを受けていた。そこへ、いきなり「緊急地震速報」である。この「緊急地震速報」は11日の地震直後は、もうひっきりなしで、さあと構えていると揺れなかったり、誤報だったりと、混乱していたから、今度もまあ大丈夫だろうと思っていたら、かなりの揺れである。

 その時、マッサージチェアは、ちょうど水平状態になっていたところで、足も手もギュッときつく挟まれていたので、慌てて起き上がろうとしたけれど、すぐには体が自由にならない。手足をバタバタやっている様は、まるで裏返された亀である。何とかマッサージチェアから「脱出」したころには、揺れもおさまっていた。どのくらいの揺れだったのかもわからない。節電しなければいけないのに、マッサージチェアにかかったバチだろうか。

 それにしても、ティッシュペーパーなんて買いだめしてどうするのだろうか。あんなものなくても、平気じゃないか。トイレットペーパーだって、昔は、紙がなければ新聞紙で拭いたものだ。まあ新聞紙は水洗トイレには流せないけど。そもそもティッシュペーパーを日本人は使いすぎだ。そんなことをちょっと前にテレビでやっていた。確かにそうだ。今のところ我が家にティッシュペーパーはあるから買いにはいかないけれど、なくなったら、ハンカチで鼻をかんで洗えばいい。それにコピー用紙なら嫌というほどあるから、ちょっと試してみるかと、コピー用紙をよくもんで鼻をかんでみた。なんとかかめたけれど、最後に鼻についたヤツを拭き取る時がちょっと痛かった。しかし、それだけのことだ。ふけないことはないのである。

 東京電力は「計画停電」というのを始めていて、昨日は神奈川県でもとうとう実施された。しかし不思議なことに、ぼくの住んでいる町は、どのグループを見てもない。昨日も今日も一度も停電していない。これは申し訳ないけど、ちょっとラッキーだ。

 しかしこういうことまで実施される事態となってみれば、いかに今までぼくたちは無駄に電力を消費してきたかということが、つくづくと反省される。町の建物のライトアップ、クリスマスの時期のバカみたいな電飾、大型商業施設でのあほらしいほどの明るさ……。さんざん批判されてきたことだが、いっこうに改まることもなかった。

 昔、井上ひさしが、生活水準を低くしていかなければ、これからはやっていけなくなると言っていたのを思い出す。しかし、結局、こういうことにでもならないと、人間というのは本気にはなれないものだ。これからの日本人は、本当に生活態度を改めていかねばならないだろう。

 しかし、今は、これから、よりも、「今」だ。何とか、被災地に援助をしなければならない。そうはいっても、現地へとんでいくこともできないぼくなどは、せめて「節電」することが第一だ。こんな文章をパソコンで打っていてはいけないのだ。


Home | Index | Back | Next