88 大災害の中で

2011.3.12


 事態の深刻さは増すばかりのように思える。原発も、非常に不気味だし、最悪のシナリオもあながちありえないことではないと思えるし、地震にしても、今回の大地震が他の地域の直下型地震を誘発する危険性が高いなどという専門家の意見を耳にすると、ただもう、不安ばかりが増幅し、とてもこの先この国で平穏には生きていけないのではないかという気がしてきてしまう。

 テレビに登場している人たちも、不安ばかりを話すのは当然のことではあるが、こう情報が多いと、一個人としてはどうしていいのか途方に暮れてしまうばかりである。

 多くの人の、そしてぼく自身の恐怖や不安の根源は、死の恐怖であることは間違いないだろう。そしてその前段階としての、日々の生活への不安。電気はどうなるのか。ガスはどうなるのか。放射能の汚染はどうなるのか。今後の新たな地震に遭遇したらどうするのか。そのとき自分はどこにいるのか。そして無事生き残れるのか。そういったありとあらゆる不安が頭の中に渦巻いてしまうのは、たぶんぼくだけではないだろう。

 ぼくはとりわけ、心配性だし、臆病だから、この先の人生を考えると、ひどく憂鬱になってしまう。

 しかし、こうした不安や恐怖のスパイラルに閉じ込められていても、事態はなんら改善しない。まあ、死んだら死んだでいいや、とどこかで腹をくくらねばならない。これまで60年、いろいろと楽しいこともあったし、どのみち、人間はいつか死ぬわけだから、どっちが先に死んでもいいやということにしようよ、などと家内とちょっと話した。そういうことね。今度、もう少し暖かくなって、花粉も飛ばなくなったら、いざというときのシュミレーションで学校まで歩いて行ってみようか。そうねえ、それもいいかも。なんてことを話した。

 母は、我が家に2泊したが、食事中も食べるのもそっちのけで、機関銃のように話し続け、久しぶりの「お泊まり」で楽しかったと言って元気で自宅に戻った。心のなかには不安もあるのだろうが、それをはねのけてしまう強さを持っている。生きるエネルギーの強い人である。それは何より周囲の人とすぐに関係を結んでしまう積極性にあるようだ。

 家内の母は、耳が悪くて、母の話の半分も聞こえなかったようで、そのうえ連日のテレビに流れる悲惨な映像にくたびれはてたようすだった。津波にのまれた人びとのことがかわいそうでならないと何度もため息をついていた。純粋で、芯から心の優しい人である。

 母を車で送って家に帰り、庭を見たら、フキノトウが可憐な花を開いていた。現実はどうあれ、自然はいつもどおりの姿で、ぼくらに接してくれる。その姿が妙に身にしみて、その花を摘んで瓶にさし、家内の母にあげた。

 生きるにせよ、死ぬにせよ、やはり結局は人間というものは、他人のことを思い、助け、いたわりつつ生きていくしかないし、そういう生き方の中にしか本当の安心も幸福もないのだとつくづく思う。

 そのうえで、後はどうやって生き延びるかを具体的に考えねばならない。老い先短いとはいえ、いろいろ智恵を絞ってしぶとく生き延びるのも面白いではないか。そうすることで、若い人びとを助けることもできるかもしれない。

 さしあたって、鞄の中に、水の入ったペットボトルと、懐中電灯と、ラジオと、iPad(これが非常に役立つことは強調したい。最低でも明かりとして使える。携帯より何倍も明るいし、電池の持ちも長い。もちろん、インターネットが使えるメリットも大きい。)と、チョコレートかなにかの携帯食料ぐらいは、いつも持ち歩くようにしたいと思う。これでは毎日、非常袋を持ち歩くようなものだが、まあ、これも楽しみと考えればいいではないか。

 そして、今回のことが起きる前からいつも思っていたことだが、靴である。ぼくはどこへ行くにも、ウオーキングシューズしか履かないが、女性などはハイヒールやミュールを平気で履いている。これでは、もう絶対に歩いて帰宅などできはしない。現に、今回の帰宅困難者の女性は靴屋に殺到したということも聞いている。

 これだけ用意をしても、ダメなときはダメだろうが、まあ、生き延びる確率の方が遙かに高いのだから、何とかなると思って、注意を怠らず生きていくということだろう。それしか道はないように思える。


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