86 すぐにネットに質問する風潮

2011.3


 携帯電話を使っての今回のカンニング事件には、正直なところひどく驚いた。どうすればそんなことが出来るのだろうかというのが最初の疑問だった。

 テレビなどでも、自分で本文を打ち込むことは不可能だろうから、写真機能を使ったのだろうなどと言われていたし、ぼく自身もたぶんそうだろうと思っていた。

 ところが、犯人が逮捕されてみると、ひとりでやったというのだから、更に驚いてしまったのである。

 しかし、冷静になって考えてみると、自転車に乗りながらメールを打っている若者の姿などは当たり前に見ることができるわけだし、女子高生などのメールを打つ早さときたら、とても信じられないくらいのものだし、それなら、試験会場で試験監督の目を盗んで、問題用紙や解答用紙の下でメールを打つぐらいのことは、今どきの若者にとっては朝飯前だということは、むしろ常識のレベルのことなのかもしれない。

 それなのに、今までこういう事態を誰も予想していなかったのごとく、試験会場にメールの持ち込みが許され、試験中にトイレに行くことまでも許されていたというのは、「危機管理」の甘さといったらいいのか、それとも学生を信頼するおおらかな心の表れといったらいいのか、どうにも判断しかねることである。

 テレビや新聞などの論調は、どちらかというと、この19歳の学生に同情的で、報道ステーションの古館などは、「この学生が、この事件の後、社会に受け入れられないなどということがあってはなりません。」などと力説していたが、何で真相も分からない今、そこまで寛容にならなければいけないのか理解に苦しむ。その裏には、カンニングなどは、誰でも経験のあることで、重大な犯罪ではないではないかといった気分があるのかもしれない。

 それなら、大相撲の八百長だって、まあいいじゃないのそのくらいと、どうして許してやらないのか。大相撲は「興行」だ。「娯楽」だ。八百長などつきものの世界じゃないか。

 それに比べて、大学入試は「興行」ではない。人の一生がかかっている場合だってあるのだ。そこでの不正は、重大な罪だ。

 それにしても、問題なのは、分からないことがあると、すぐに「ヤフー知恵袋」などに質問して、またその質問にいちいち丁寧に答える人がいるという昨今の風潮である。こういうことが日常茶飯事になっているから、入試の最中でも質問してしまうという場をわきまえない人間が生産されてしまうのだ。


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