84 何が大事なことなのか

2011.2


 この間、奈良に行って、法華堂で、沢山ある仏像を見て、これをこのまま永久に保存しなくてはならぬのかと考え、ちょっと憂鬱な気がした。

 と志賀直哉は昭和25年に書いている。終戦後まもなくの食うや食わずの頃のことで、庶民が重税に苦しんでいるのに、文化財保護に一億円も国庫から出す必要があるのかと疑問を呈し、文化財保護などは「国民の生活にもう少し余裕の出来た時にすべき事」だと言うのだ。終戦直後、梅原龍三郎は、「敗戦の償金として法隆寺をそっくりそのままアメリカに渡したらどうか。」という説を述べていたそうで、それに対しても志賀は「それも面白い考え方だと当時は思ったものである。」と書いている。

 志賀直哉とか梅原龍三郎とかいった、当時の日本を代表するような文化人がこういうことを本気で思っていたということは、終戦直後の日本人がいかに自国の文化に対する自信を失っていたかということを如実に物語っているわけだが、しかし一方で、文化や文化財というものを現代の我々はあまりにも無批判に後生大事と思っているのではないかという反省を強いられるような気もするのだ。

 一般庶民の生活と文化財といった対立は、そう簡単には論じられない難しさがあるが、ぼくらが本当に求めているのは、人間がひとり残らず幸福に暮らせるということであるはずで、たとえ文化財といえども、そのことと無関係にその価値が決められていいはずはないのである。

 若田光一さんが国際宇宙ステーションの所長になったとテレビでは大騒ぎをしているが、それだって国から、つまりは税金から相当の金が出ていることだろう。ホームレスの人たちや、生活保護も受けられずに日々の苦しんでいる多くの人たち、一人暮らしの高齢者などにとって、そもそも国際宇宙ステーションが何の意味を持つだろうか。そんな金があるなら、今日の暮らしを何とかして欲しいというのが切実な願いに違いない。

 まあ、そんなふうに考えていたら、学術振興も文化財保護もできなくなってしまうが、しかしそれでも、今日只今の時点において、何がいちばん大事なことなのかは、盛り上がれば事れりとするマスコミの狂騒に惑わされることなく、冷静に考えるべきことではなかろうか。

 いずれにしても、小惑星のホコリを持ち帰ることができたって、路上で一人が飢えて死ぬのを助けられない国ならば、人を幸福にする国とはいえないということは確かなことである。


*「閑人妄語」・『志賀直哉随筆集』(岩波文庫)所収


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