83 昔はよかったか

2011.2


 できれば使いたくない言い回しに「昔はよかった。」というのがある。高度経済成長期の日本人には貧しくても夢があったというようなことを言う人がいて、『三丁目の夕日』という映画も、多分そういう人たちのために、そういう人たちによって作られたのだろうと勝手に考えて見ていないが、見たとしても、涙の出るような思いを味わいつつも、どこかでしらけてしまうだろうと思う。

 「田舎の人はあたたかい。」とか「下町は人情があふれている。」といったフレーズも、信じることはできない。「あたたかい心の田舎の人」や「人情味あふれる下町の人」はもちろんいて、それは「あたかかい心の都会人」や「人情味あふれる山の手住民」がいるのと同じことである。いろんな人間がいる、というだけのことである。

 先般の「タイガーマスク」にしても、寄付をもらった施設の所長さんが、テレビのインタビューに満面の笑顔で答えて「いや〜、日本人ってすばらしいです!」とほとんど絶叫していたが、どうして「タイガーマスク」が日本人だけだと断定できるのか不思議である。「タイガーマスク」の中に、インド人や、ブラジル人がいたらどうするつもりなのだろうか。これなどはほとんど差別発言ではないか。

 「昔はよかった。」というフレーズもこれと同じことで、昔には、よかったことと、よくなかったことがあったというだけの話である。それをとにかく人は「昔はよかった。」とひとくくりにしてして話したがる。そのほうが分かりやすいからだ。『三丁目の夕日』にしても、「よかった昔」と「よくなかった昔」を同時に描いたら、感動している暇がなくなるだろう。涙も途中で途切れるだろう。だから、よくなかった昔には目をつぶり、無理矢理感動してしまおうとするのだろう。

 「日本人ってすばらしい!」発言にしても、テレビのキャスターなどが「最近、日本には暗いニュースばかりなので、こういう話を聞くとほっとしますね。」みたいなことばかり言っているから、「日本」しか目に入らなくなっているのだ。

 要するに現実はこの際どうでもいいのだ。マスコミは話題さえあればいい。話題があって、それによって盛り上がれればいい。なんだ、それなら、お笑い芸人によるバラエティと同じじゃないか、なんて今更言うのも気が引ける。芸人が芸人らしく、芸を磨いていた昔はよかった、とつい言いたくなってしまうが、昔の芸人がどうだったか、実はぼくも知らない。


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