81 神経質

2011.1


 神経質である。ぼくの日常を知る人はとてもぼくが神経質であるなどとは思わないだろうが、本当は神経質なのである。神経質なだけではなくて、神経症的でもある。過去には、今でいうパニック障害になった時期がある。これも一種の神経症である。

 友人の精神科医に、これは治らないものだろうかと話したことがあるが、彼は、それは難しいなあと言ったあと、森田療法の創始者の森田先生は、自分自身が神経症で悩んでいたそうだとポツリと言った。その後、別の話になってしまって詳しい話は聞けなかったが、「森田療法」という言葉が心に残った。

 「森田療法」という名前は前から知っていた。パニック障害になった時にも、その名前を何かの本で見ているが、自律訓練法とどこかでごっちゃになってしまって、詳しく調べなかったような気がする。それで森田療法に関する本をいろいろと最近読んで、だいたいのことが分かった。

 そもそも神経症の人というのは、何か1点に関して極端に神経質で、他のことにはだらしないことが多いのだそうだ。ぼくが例えば多くの生徒から、あの先生は神経質だなあ、などとは多分思われていないのは、掃除の監督ひとつとっても、あまり細かい所までチェックしないですぐに解散させてしまうし、提出物にしてみても、提出期限に遅れても、案外あっさり受け取ってしまうからだろう。まあ、生徒にとってみれば、おおざっぱな、めんどくさがり屋にしかみえないはずである。

 しかしこと自分の体のことになると自分でも嫌になるほど神経質で、ちょっとの不調が気になり、下手をすると神経症の一歩手前までいきかねない。こういう傾向を何とか直したいとずっと思ってきたが、この森田療法は多くの示唆を与えてくれる。

 簡単に言えば、「症状はあっても、あるがままに受け入れ、なすべきことをなせ。」ということだ。なすべきこと、つまり生きる目的がはっきりしていて、その目的の達成のために日々行動していれば、神経症など自然に治ってしまう。逆に、日々暇をもてあましていると、自分の体のことばかりに注意が向いてしまい、神経症を悪化させてしまうともいう。

 そうか、「生きる目的」か。ここしばらく、そういうことはあまり考えてこなかったなあ、と思った。早く仕事から解放されて、のんびり暮らしたいとばかり思っていた。しかし「小人閑居して不善をなす」。ぼくのような神経症的な人間には、そういう「閑居」は相当危険のようだ。


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