80 累乗で伸びるのだ

2011.1


 最近『記憶力を強くする』という本を読んだ。還暦も過ぎた人間が、今更記憶力を強くしてみても始まらないが、まあ、この手の本が好きなのだ。

 これがなかなか面白かった。中でも、勉強というものはどういうものかということを、記憶の仕組みとからめて述べたところには「え、そうだったの?」という発見があった。

 何ごとでも、努力しているうちに力が伸びるものだが、その伸び方というのは、1から2へ、2から3へというふうな伸び方ではないという。そうではなくて、2から4へ、4から8へというふうに「累乗」で伸びるのだそうだ。だから、努力さえ続けていれば、最初は0から出発しても、いつかは必ず10000ぐらいのレベルに達することができるはずだ。しかし、普通の人は、たいてい2の8乗ぐらいのところ、つまり256ぐらいのところまでくると、10000なんてまだずっと彼方に思えて、ああいうのは天才だ。ぼくには無理だとして諦めてしまうのだという。ここで諦めずに努力を続ければ、天才と呼ばれる領域に入ることができるのだ。つまり天才とは、凡才が作り上げた幻想なのだという。大事なのは、諦めずに努力を続けることなのだというのが結論だった。

 これには、すっかり感心してしまい、まあ、先の短い自分にはあまり役立たないけど、中学生には是非知っておいて欲しいと思って、授業の中で中1にも中2にも話をした。彼らがどれくらいそれを真剣に受け止めたかは知らないが、少しでもそういう心がけで勉強を続けてもらいたいものだ。

 ところで、そんな話をしたあと、まあオレなんかは今更こんなこと知ったってしょうがないんだけどね。何しろ、最近では、ボケが始まったのか、お風呂で頭を洗ったはずなのに、どうも洗ったのかどうか分からなくなってしまうことがよくあるんだよねえ、と言うと、「あはは、ほんとにぼけてる!」といった反応があるとばかり思っていたのに、「そうそう、あるある!」という声が教室のあちこちから聞こえてきたのには、ほんとうにびっくりしてしまった。

 頭を洗ったかどうか分からなくなって、2度洗うこともよくあることを、けっこう気に病んでいたのに、なんと中1の子どももそうだったなんて、なんという慰めであろうか。

 これはボケたのではなくて、何かを考えながら、いつもの行動をしていると、その行動の記憶が残らないということなのだろう。「記憶」というのは何とも面白いものである。


*(池谷裕二著・講談社ブルーバックス・2001年初版)


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