79 天の邪鬼といたしましては

2011.1


 何か盛り上がっていると、すぐに冷水をかけたくなる天の邪鬼は今に始まったことではないが、先日もテレビを見ていたら、嬬恋村の村おこしとかで、真冬の丘の展望台みたいなところに立って、夫婦がお互いに大声で「好きだ〜。」と叫ぶイベントを紹介していたので、「バカやってんじゃねえ。」と呟いたら、家内が「私は叫べるけどね。あなたも叫んでみたら。あなたが叫んだらそれこそ価値があるわよ。」と言った。もちろん天の邪鬼がそんなことをしたらオシマイである。

 それはともかく、天の邪鬼としては昨今の「タイガーマスク騒動」には我慢がならないものを感じるのである。

 最初の「事件」がテレビで報道されたとき、「変なことをするもんだなあ。」というのが第一印象だった。

 寄付行為そのものは何ら「変」ではない。それどころか、大いに推奨されべきことである。(ちなみに、不況下の現在の日本において、寄付はむしろ増加しているという。これも喜ばしいことである。ついでに言えば、これはちっとも不思議ではない。不況だからこそ人の不幸が身にしみるのである。)

 しかし問題は、なぜ色とりどりのランドセルなのかということだ。ランドセルが本当に必要とされていたのか。なぜもっと実質的な現金ではないのか。そして何よりもなぜ「伊達直人」なのか。単なる匿名ではなぜいけないのか。そう考えてみると、寄付の動機はどうであれ、この善意の人は相当の目立ちたがりだということが推測される。

 しかしまあ、この人にしても、ほんのシャレのつもりで「伊達直人」を名乗ったことが、ここまでマスコミの注目を浴び、しかも全国的な「模倣者」がここまで続出するとは思ってもいなかったことだろう。今ごろ「しまった。」と思っているかもしれない。その点では、比べては失礼になるが大桃美代子のツイッター問題に通じるところがある。

 ぼくみたいな天の邪鬼が「変なことをするもんだなあ。」と感じることを、世間には「これはいい!」と感じる人が数百人もいたことにぼくはびっくりしている。「街の声」などでは「いいことじゃないですか。最近は暗いニュースばかりだし。」といったものが多いようだが、素直に頷けない。「これはいい!」と思ってマネしている人は、テレビで騒がれることに快感を感じているだけじゃないかと天の邪鬼としては思うものだ。

 「右手でしたことを左手にも知らせない。」というのが、本当の善行であることはいうまでもない。


 

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