77 新年の抱負?

2011.1


 1月1日にエッセイをアップするのは、初めてではないはずだが、そうそうあることではないので、新年の抱負など述べてみようと思うのだが、どうも近ごろの正月というのは、やったあ! 新しい年だ! といった心のはずみのようなものがない。

 トイレにかけておくカレンダーを毎年自作しているのだが、何だか毎月作っているような錯覚におちいる。カレンダーも自分の絵で作れればいいのだが、最近はあまり多くの絵を描いていないので、とても12枚は調達できないので、気に入った画集から気に入った絵を選び、スキャナーで取り込んでカレンダーに仕立てるわけだ。今年選んだのは、野中ユリの絵。シュールリアリズムの絵だが、これが元の画集よりきれいに印刷できた。あまりにきれいなので、トイレ用の他に自分の部屋用にも作ってしまった。でもこれもあっという間に終わってしまうのだろうなあとため息がでる。

 まあそういうわけで、若い頃のように「新年の抱負」を勢い込んで言えるわけではないのだが、歳は歳なりの抱負もあろうというものだ。

 今年は、何といっても、仕事の上で大きな区切りの年となる。昨年の3月で定年になり、その後1年「特任教諭」という妙な立場にあるが、この4月でそれもやめ、週に3日勤務の「講師」となることにした。ということは、週4日は休みである。

 ぼくはとにかく休みが好きで、教師になったのも、休みが多いというのがその大きな理由だった。幸いぼくが過ごした教師生活40年というものは、休みに関しては恵まれていて、同級生で官僚や会社員になった人たちの何十倍も休んでゴロゴロしていることができた。

 でもまだ休み足りなかった。週に3日ぐらい勤めて、後は休みっていうのがいいなあと、現役の頃何度夢見たことだろう。それがもうすぐ現実となる。何と幸せなことではないか。

 もっとも、そう先の長くない身ではあるが、それでもこの休みを湯水のように使って、ダラダラと生きてみたいものだ。もちろん金は湯水のようにあるわけではないから、海外旅行などという贅沢なことはまったく考えていない。家庭菜園などという腰に悪いことも嫌だ。

 書画に親しみ、創作もし、日本の近代文学や古典文学を楽しく読み、キリスト教と仏教に関しての本をひもとき、ときどき小旅行をしたり、映画を見たりする。

 これ以上のことは何も望まない。とすれば、やっぱりこれでは「抱負」とはほど遠いことになる。ま、いいか。


 

Home | Index | Back | Next