72 きっと誰かが書いている
2010.11
頭の中に浮かぶすべてのことを手当たり次第に、しかも、私自身の天賦の能力だけを用いて語ろうとするときに、よくあることですが、偶然に、すぐれた著者たちの中に、私が扱おうと思ったのと同じ題材にぶつかったりすると、この人たちにくらべて自分がいかに無力で、貧弱で、鈍重で、寝ぼけているかを思い知って、自分自身を憐れんだり、さげすんだりいたします。けれども私は、私の意見がしばしば光栄にも彼らと一致するということを、また少なくとも、ずっとうしろのほうからですが、「まったくそのとおりだ」と言いながらあとについてゆくことを得意に思っているのです。*
引用が長くなったが、モンテーニュ**の言葉である。iPadのおかげで、モンテーニュの『エセー』も、常に持ち歩き、折に触れて読むことができるようになった。
それにしても、モンテーニュという人は、正直な人である。実際に文章を書いていると、こんなことは誰かがどこかで言ってるに決まってるようなあと思うことがしばしばだ。この『100のエッセイ』を書き始めたころは、まだ50歳にもなっていない若造だったので、「人がどこかで言ってるようなことは絶対に書くまい。」と意気込んでいた。もし同じような題材を扱う場合でも、書き方や視点を変えてオリジナリティを出そうと思って苦心もした。
しかしモンテーニュは、「『まったくそのとおりだ』と言いながらあとについてゆくことを得意に思っているのです。」なんてさらりと書いてしまうのだから、人間も達人の域に達するとこういうことを書けるようになるのかとため息が出る。
それどころではない。モンテーニュは更にこう続けるのだ。
また、他の人たちにはないことですが、この著者たちと自分との間に雲泥の差があることをわきまえている点をも得意に思っているのです。そして、それにもかかわらず、私は自分もこんな弱々しく低級な見解を、私が産み出したままの姿で、この比較によって明らかになった欠陥を塗りかえたり、つくろったりせずに、世間に公表するのです。
ここまで言ってもらえると、モンテーニュなんかより遙かに低級なぼくでも、こうやって「きっと誰かが書いている」ようなことをだらだらと書いていても、誰にも文句は言わせないぞと開き直ることができそうだ。
もちろん、この後を更に読んでいくと、これはモンテーニュ流の謙遜の辞に過ぎないことは明らかなのだが、まあ「いいとこどり」ということで。
*モンテーニュ『エセー』第1巻・第26章(岩波文庫)
**モンテーニュ:フランスの思想家。1533〜1592。