71 安心立命ではなく

2010.11


 老いを語るとき、よく引用される言葉に、サムエル・ウルマンの詩がある。「青春とは心の若さである。」というやつである。短い詩なのでネットにも原文が載っていたり、訳が載っていたりするが、ちょっと引用してみると、

青春とは心の若さである
信念と希望にあふれ
勇気にみちて日に新たな
活動をつづけるかぎり
青春は永遠にその人のものである

とか

人間は信念とともに若くあり、疑念とともに老いる。
自信とともに若くあり、恐怖とともに老いる。
希望ある限り人間は若く、失望とともに老いるのである。

などという言葉が並んでいる。

 これを書いた紙をマッカーサーが執務室に飾っていたとか、松下幸之助が座右の銘にしていたとかいうことがあって有名になったらしい。今でも多くの高齢者がこの言葉に励まされていることだろう。

 しかしこの詩を座右の銘にしても、ほんとうに老人がいつまでも若いままでいられるものだろうか。シワシワのジジイになっても、心だけは若いから「わしゃ青春を生きているんじゃ。」と言っていられるものだろうか。むしろ、こんな言葉を信じていたら、現実とのギャップに悩むことになるのがオチではなかろうかと、老爺心ながら思ってしまう。

 そんなこと以上に問題なのは、そもそもこの詩は「青春」のとらえ方が根本的に間違っているということだ。「信念・自信・希望」が「青春」の特性だとしているが、「信念」「自信」そして「希望」ほど「青春」から遠いものはない。それは自分自身の青春と思われる時期を振り返ればすぐに分かることだ。

 「若いという字は苦しいという字に似てるわ〜」という歌があったが、こっちの方がよほど真実をついている。自信の喪失、求めても得られない信念、その果ての絶望、それが青春の中身だ。

 「自信を持ってはいけない。」と亀井勝一郎は言っている。太く白い眉毛を動かしながらサルトルを論じる85歳の鈴木大拙を思い出しながら、「七十代八十代で、青年の問題を青年のように語れる老人を私は尊敬したい。」と亀井は言う。

 安心立命ではなく、迷いと疑いと絶望の中で、なお何かを求めてあえぐこと、つまり本当の青春を生きること、それが老人においても大事なのだということだ。そのとき、若いとか老いたとかいうことは問題にはならない。ただ、老人の方がより深刻に迷い、疑い、絶望するという点だけが、たぶん異なる。


 

Home | Index | back | next