69 教師はひまであるべきなのだ

2010.11


 唐木順三のエッセイを読んでいたら、こんな文章が載っていた。

たまに信州へでかけて、先生方の忙しがっている様子をみるたびに、なんとかもっとひまをみつけることができないだろうかと思う。(中略)仕事や会合を整理するなり、会議の運営をするなりして、できるだけひまをもつべきだと思う。

 この中略の部分に、矢島麟太郎老というのが出てきて、「研究会や会合は週一回、せいぜい二回にして、平日は早く帰った方がいい。掃除当番のこどもを帰してしまって、残務整理をしたら、早々にうちへ帰るのがあたりまえだ。」というようなことを唐木氏に語っていて、唐木氏も「大賛成だ。」と言っているのである。

 これが、ひと昔まえの常識だった。こういうことを、きちんと当時の知識人は語っていたのである。今ではめったにこういう意見を耳にすることはない。

 都立高校の先生に聞くと、朝はタイムカード、夕方はタイムカードなし。それというのも、帰りにタイムカードを押されると、たいてい超過勤務で、その証拠が残るからタイムカードは使用できないようにしてあるらしい。じゃあ、みんな勝手に帰ってしまうんじゃないの? と言うと、ときどき5時に(5時まで学校に暇でもいなけばいけないらしい。)教育委員会だかの人間が、教師の出席をとりにくるのだという。ばかばかしくて、とても本当のこととは思えないが、事実らしい。

 こんな次第だから、夏休みもせいぜい5日ほどで、あとは生徒がいなくても出勤だそうである。神奈川県も同じようなことらしい。この事態を唐木氏や矢島老人が聞いたらさぞや嘆くことだろう。

 「先生はできるだけひまをもつべきだと思う。」という唐木氏の言葉は、今や完全に問題外。「先生にできるだけひまをもたせないようにしよう。」と教育委員会などは考えているわけだ。で、何をやっているかと思えば、「教師の質の向上」のために、無駄な会合やら会議だのをせっせとやっているわけである。そんなもので人間の「質」が向上すると本気で思っているのだろうか。

 もっとも「ひま」を使って何をすべきかについては、唐木氏は読書を第一に挙げていて、しかも「何を、如何に読むべきかは、繰り返し考えなければならない問題だ。」としている。

 「ひま」をいいことにパチンコだのカラオケだのに興ずる教師はもともと想定外なのである。これは我々教師としても、少々耳の痛い話ではある。


「朴の木──人生を考える」1960年初版・講談社学術文庫1977年

唐木順三(1904〜1980)


 

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