62 やるべきことを、やるべきときに……
2010.9
「やるべきことを、やるべきときに、しっかりやる。」というのが、ぼくの中高時代の教えであった。生粋のドイツ人校長の野太い声でこれを6年間たたき込まれたのだから、それこそ骨の髄まで染みこんだ。げに恐ろしきは教育である。
骨の髄まで染みこんだとはいっても、それがその教えを実行できたということを必ずしも意味しない。「やるべき」勉強をほったらかしにして、「やるべきとき」ではない定期試験の直前の日曜日でも昆虫採集に熱中していた中学3年のころ、また「やるべき受験勉強」に背を向けて、こともあろうに「やるべきとき」ではない夏の補習の時間をさぼって学校の裏山に登って遊んでいた高校3年のころ、それらを思い出すと、どこの骨に染みこんだのだと自分で突っ込みをいれたくもなるのだが、染みこんだ教えを血肉として自らの人生の柱にし得た人間もいれば、染みこんだ教えが強迫観念となって長く自分を苦しめることとなった人間もいるということだ。
「やるべきことを、やるべきときに、しっかり」とやった何人もの同級生は、続々と官僚のトップまでのぼりつめた。「ぼくは自分のたてた計画を実行しなかったことはない。」と言い切った男は、裁判官として活躍している。彼などはまさにその教えを血とし肉とした典型だろう。ちなみに彼は高校の卒業式の日に、ぼくにむかって「君の隣の席で1年間過ごしてとても勉強になったよ。」と言った。それは「こんないい加減な人間も世界にはいるのだと分かって勉強になった。」という意味だろうとずっと思っていたが、数年前の同窓会で彼に会ったとき、そのことを聞いてみたら、まったく記憶がないと言っていた。まあそんなもんだろう。
骨に染みこんだ教えが強迫観念となって苦しめられることとなった人間の典型がぼくだとはいえない。それは、ぼくなりにその教えに忠実だった面もあり、それが多少とも仕事上プラスに働いたということもあったからだが、それでも苦しめられたことは確かだ。
何とかしてそこから自由になりたいというのが、長い間のぼくの内面的な闘いだったといえば格好つけすぎだが、とにかく還暦もとっくに過ぎ、まもなく61歳になろうとする昨今、「やりたいことを、やりたいときに、ダラダラやる。」をモットーとしていこうと決心している。しかしこんなことを「決心」しなければならないということ自体、教えが染みついているという証拠だ。やっぱり教育は恐ろしい。