55 「ゲゲゲ」の魅力

2010.7


 
 NHKの朝の連続テレビ小説を欠かさず見るようになってから3年ほどたった。若い人はあんまり見ないようで、同僚にその話をすると、不思議がられるが、歳のせいなのかどうか、日課のようになってしまっていて、見ないと気持ちわるい。一種の習慣だろうか。

 なにしろ同じ話を、半年も毎日見ているのだから、どんなにつまらない話でも、ぼくら自身がその「世界」の住人になってしまう。ドラマがぼくらの日常の一部となってしまうわけだ。それが朝ドラの魅力だろう。刑事物のドラマも連続ものはそういう面があるが、やはり殺人事件は非日常だから、そうそう登場人物への思い入ればかりで見るわけにもいかない。やはり、朝ドラこそは、ぼくらの「もう一つの日常生活」たりうるドラマなのだ。

 このところしばらく低迷を続けていた朝ドラだが、今回の「ゲゲゲの女房」は、とうとう20パーセントを超えるヒット作となったことはまずは慶賀の至りだ。一種の「おしん」のようなもので、こういう苦労話は受けるということかもしれないが、やはり見ていてときどきホロリとさせられる。それどころか感動してしまうことすらある。

 ひとつには、やはり水木しげるが苦労していた時代のことを、リアルタイムによく知っているということがあるのだろう。ぼくの家の斜め向かいには貸本屋があった。理科少年だったぼくはほとんど借りた覚えはないのだが、その家の子どもがぼくの同級生だった。女の子だったが、小学校の2年生ごろだったろうか、病気で亡くなったことをよく覚えている。病院へ入院するという朝、タクシーにのった彼女を窓越しに見た覚えがある。悲しそうな顔をしていた。今ならきっと助かった病気だったのではなかろうか。時代そのものがまだまだ貧しかったのである。貸本屋というと、そういうイメージまで脳裏を駆け巡る。ドラマにもおのずと厚みが出てくるわけだ。

 先日、水木しげるやその奥さんのインビュー番組があった。

 昔は貧乏なさったそうですけど、今は幸せですか、という問いに、「今は金持ちになったけど、ちっとも幸せじゃないよ。金持ちになったからといって、大福を四つも食えるわけじゃないからなあ。」と言って何ともいえない顔をして笑った。

 こういう人の話が、おもしろくないわけがない。



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