50 からむ・こじれる

2010.6


 何億キロも離れた小惑星イトカワに着陸して帰還したハヤブサのことがしばらく話題になったが、どうしてこういうスゴイことができるのかと感心してしまう。その昔、アポロが月に着陸して、その映像を見たときも、やはりスゴイなあと感動したものだ。

 けれども、どうしてこういうとんでもないスゴイことができるのに、どうしてこういう簡単なことができないのかと思うことも多いのだ。

 例えば、傘。ぼくらが今使っている傘は、江戸時代の傘と基本的にはちっとも変わっていない。素材が変わったとか、折りたたみできるようになったとか、ワンタッチで開くことができるとか、進歩はせいぜいそのくらいだ。人体の上に何かを広げることで雨に濡れないようにするという基本的な構造は、江戸時代どころか人類発生の時点から変わっていないのだ。

 ハヤブサはイトカワに行って帰ってこられるのに、雨が降ると人類は相変わらず、傘をさし、それでもずぶ濡れになる。それをどうにもできない。もっと劇的な進歩がないものだろうか。例えばベルトにボタンがついていて、雨が降ったらそれを押すと身体がくまなくバリアーにつつまれ、雨を跳ね返してしまうとか、何かを体の一部にシュッと一吹きかけるだけで全然雨に濡れなくなるとか、そういうものが発明されないものだろうか。

 傘だけではない。例えばipodなどのイヤホンのコード。どうしてコードというものは、あんなにも複雑にからまってしまうのだろうか。ただポケットに入れただけなのに、どこをどうめぐってあんなふうになってしまうのだろうか。コードがからまるのは3次元だからだという話をどこかで聞いたことがあるような気がする。これが4次元となるとからまないのだそうだ。なるほど、時間軸が入れば「元」にあっという間に戻るのだろうから、からんでも瞬間的にほどけるという理屈だ。

 けれどもこれを3次元のレベルでからまないようにする技術がどうして生まれないのだろうか、というのが問題だ。もちろんワイヤレスイヤホンを使えば解決だが、ぜったいにからまないコードというものをぼくは夢見る。

 からんでしまったコードを見ると、こじれた人間関係を見るようで、つい切なくなる。ぜったいにこじれない人間関係というものもない。細心の注意を払っていても、どこかでこじれてしまう。

 ハヤブサがイトカワから帰還しても、人類は相変わらず、ありとあらゆる所でこじれ続けている。


 

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