43 チキンラーメン世代 

2010.5


 今年の文化祭では、「美術部展」の顧問となった。

 文化祭の前日は一日使って準備をする日で、授業はない。美術部は部員が5人しかいないので、広い会場を彼らの作品だけで埋めることは容易なことではなく、かといってあんまり作品が少ないのも寂しいから、美術の教師2名の作品や、ぼく自身の作品やらも動員して、何とか壁面を埋めた。

 何事でもそうだが、準備というのは何だか楽しいものである。さっさとやれば2時間ほどで終わってしまいそうな準備だが、だらだらとやっていて、ちっとも終わらない。それどころか準備なんてそっちのけでUNOなどに興じながら、思わず彼らの口から漏れてくる「あ〜あ、これが終わると、また勉強かあ。」というつぶやきも、できることならこうやって延々と展覧会の準備をしていたいという、ぼくにとってもどこか懐かしい感慨をともなって耳に入ってくる。

 UNOなんてやってないで、さっさと準備して終わったらさっさと帰ろうぜなんて言いながらも、どうも本気でない自分がいる。

 たわいもないことをしゃべっているうち、どういうわけか話題がチキンラーメンのことになった。あれは画期的だったなあ。どんぶりに入れて、お湯を入れて、ふたをして3分待つとできあがりなんだからびっくりしたよ。なんて話していたら、生徒のひとりがしみじみとした口調で、先生ってずいぶん昔から生きている人なんですねえと言った。

 そりゃそうだよ、いったいオレをいくつだと思っているんだ。60歳だぞ。そういって力んでみたが、そうかあ40年前の先生って、20歳だったんですねえとまた言われてみて、確かにすごいなあそれは、と思った。

 昭和24年の生まれだということは、ずいぶん昭和も深くなったころの生まれで、その前の大正時代なんてまったくの無縁の時代だと思ってずっと生きてきたが、今や平成22年。その時点で60歳ということは、昭和の遺物ではないか。昭和をまったく知らない世代から見れば、昭和をずっと生きてきた世代などは、ぼくらにとっての大正時代、いや明治時代を生きてきた世代と同じなのだ。

 その夜、久しぶりにあった同級生は、オレは中学1年の時に、チキンラーメンを弁当の代わりに学校へ持って行って、弁当のフタでチキンラーメンができるかやったことがあるぜと熱く語っていた。それじゃすぐに冷めて、麺も硬かったんじゃないか? と言ったら、でも、できたんだ、と嬉しそうに言った。


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