38 背広とクーラーボックス 

2010.4


 一人暮らしをしている母の家の庭の木が、手が付けられないほど繁ってしまったので、知りあいの植木屋さんに頼んで切ってもらうことになった。当日母のところに電話をすると、お隣のUさんが釣りに行って来たといって大きな鯛を何匹ももらったから、来るなら持っていって欲しいとのこと。

 植木屋さんと相談もあったので出かけてみると、母の家の前にはUさんの車と植木屋さんのトラックが縦列で入っていて、Uさんが出かけるときにトラックを移動するということになっているんだと母は言った。

 外で植木屋さんと話していると、そのUさんが家から出てきた。前からの知りあいだが、久しぶりなので挨拶をした。大きな鯛をいただきありがとうございました、と言って、いやあ好きなもんですからとにっこり笑うUさんを見ると、背広姿なのに青いクーラーボックスを肩から提げている。そのまま彼は車に乗ってどこかへ出かけていった。

 その姿を見送りながら、何か納得できないものを感じていたが、家に帰って、母が捌いた鯛を家内に渡しながら、「Uさんもずいぶん釣りが好きだねえ。こんな鯛をどこで釣ったのかなあ。それにしてもさあ、昨日釣りに行って来たばかりなのに、また今日も肩にクーラーボックスを提げてたよ。それなのに背広を着ていたんだ。あれはいったいどういうことなのかなあ。」と先ほどからずっと感じていた疑問を述べたところ、家内は即座に「会社の人に鯛をあげるんじゃないの?」と言った。

 驚愕した。ずっと分からなかった謎を、家内は瞬時に解決したのだ。そうか、あのクーラーボックスには昨日釣った鯛が入っていたのか。それをこれから行く会社の人にあげるのか。それなら背広を着てクーラーボックスを肩に提げるという姿は完全に納得できる。

 なるほど、そうなのか、とブツブツ言っているぼくを見て、「まったく、どうしてあなたはそういうことが分からないのかしらねえ。」と家内。ぼくは「いったいどうしてあんたには分かるのかなあ。」と感嘆しきり。

 「まあ、あなたのそういうところは昔からだけど、それじゃあ、文章の読み取りなんかで困るんじゃないの?」と家内。「だからさあ、何度も言ってるでしょ。小説なんかを読んでいて、ときどきとんでもない間違った読み方をするんだ。」

 空気はある程度読めるつもりだが、どうも文脈が読めない。これでは何とか国語教師はつとまっても、刑事にはなれそうもない。


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