37 個性的な思想はどこに? 

2010.3


 仕事の関係で調べなくてはならないことがあって、ネット古書店で中村光夫の『青春と知性』という本を買った。昭和22年の刊行で、定価65円。戦後間もなくの本だから、紙も粗悪で黄色くなってしまっている。購入価格は3000円。古書としての価値はあるようだ。

 本は古くてボロボロだが、中味は熱気にあふれている。昨今の本とは対照的だ。焼け跡の中で、どう生きるかを必死に模索する青年に向かって、精神の高貴さ、読書の重要性などを、息せき切って、時には激して語るその語り口には感動すら覚えた。

 中で、アンドレ・モーロワの『愛の哲学』という本をこきおろしている文章があって、どうして? と思ったが、読んでみると実に爽快な切り口だった。

「愛の哲学」という本がよく売れているそうです。あなたも買って読んだということですね。面白かったですか。僕も読んで見たのですがあまり面白くありませんでした。実を云うと、僕は訳者の小林君とは永い間の友人ですが、モーロワという先生はあまり好きではありません。むしろ大嫌いです。

 というふうに始まる。そして「愛の哲学」とは何事か。哲学者に愛など分かるはずがない。古今の偉大な哲学者はみんな独身だったじゃないか。ソクラテスやコントなどは妻帯したけれど、みんな稀代の悪妻だったのだ。彼らの哲学は、普通の人生上の愛だの幸福だのといったこととは無縁なのだと言う。そんなふやけた現実から隔絶したところで、彼らはそれこそ命がけで思想を追究したのだ。だからこそ偉大なのだ、そう中村は言うのである。

 それに比べて、モーロワなどは、通俗化の名人にすぎぬ、と切り捨てる。

彼の恋愛や結婚についての意見は、これを読んで解るように、みなむかしの人の云ったことの巧みな焼き直しばかりで、彼自身の個性的経験で血を流して把んだような思想はどこにもありません。

 つまりはモーロワの本などは偽物だというのである。

本でも人間でも見場のよい、てっとり早い、都合のよいように見えるものに用心なさい。人間というものは大概見掛けとは反対のものですし、思想にしろあなたの身に合う出来合品などは街で売っていはしないのです。

 「見場のよい、てっとり早い、都合のよいように見えるもの」ばかりがはびこる状況は、戦後60年経っても、ちっとも変わっていないというわけだ。「個性的経験で血を流して把んだような思想」はいったいどこにあるのだろうか。


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