32 「あ〜あ」な日々

2010.2


 何の気なしにテレビをつけたら冬期オリンピックの開会式の中継だったので、そうか今日から始まるのかと思ってしばらく見ていた。いったいどのくらいの金をかけたのか知らないが、派手な演出で、しかもカナダの先住民を前面に押し出したストーリーは、おそらくは過去の先住民へのひどい仕打ちへの償いの意味があるのだろうが、だからといって私たちはこの人たちを追い出して町を作ったのですというようなそぶりはどこにもなくて(まあ当たり前だが)、どうもあまりいい気持ちがしなかった。選手の入場行進の間、民族衣装を着て延々と「歓迎の踊り」を踊り続けた先住民の心のうちはいったいどんなものだったのだろうか。

 そうしたテレビ映像を見ながら、どうしてもその数日前に同じテレビに映し出されたハイチの大地震の惨状が重なってならなかった。この開会式を行っているその同じ時間、ハイチでは何百万人という人々が家を失ってテントで生活をしている。怪我の治療も受けられずに痛みに苦しむ子どもや大人、間近に迫った雨期への恐怖、食糧の圧倒的な不足など、もうどうしようもない状況が続いている。

 だから何なんだと言われても困ってしまう。オリンピックの開会式にかける費用をハイチに回せ、などと言ってみても始まらない。開会式の準備にそれこそ懸命に取り組んできた地元の業者もいるだろうし、開会式に集まる人目当ての商売にかけた人たちだっているだろう。彼らは決して悪人じゃない。世の中はそんなに単純なものではないことはよく分かっている。それでもどこかに「あ〜あ」という気分が淀んでいる。

 開会式どころではない。当のハイチ国内でも、富裕層が住んでいるあたりでは住宅の損壊もほとんどなく、きれいな家での生活はほぼ平常通りに営まれている。彼らが通うスーパーには食糧だって何だって、棚にあふれるほどに並んでいるのである。そういう映像もテレビには流れた。

 それじゃあそういう裕福な人々をぼくが非難できるだろうか。ぼくだってハイチの人々の悲惨な映像を見ながら、ぬくぬくとコタツに入って柿ピーなんかをかじっているのである。そうしておいて、やれオリンピックの開会式は金をかけすぎるとか、ハイチの人々をどう思っているんだとか、今更先住民に謝ったってお前たちの罪は消えないぞなどと勝手なことをほざいているわけだ。

 まったく「あ〜あ」である。國母なにがしの服装なんてどうだっていいことなのである。

 


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