29 立派な大人になる方法

2010.1


 定年を間近に控えいよいよ追い詰められてきた。再雇用の身となる4月からは給料が半減するのである。そうなると必然的に支出を減らさなければならないわけだが、食費などはもうこれ以上減らしたら、ダイエットどころのさわぎではなくなるから、結局は無駄遣いを減らすということになるわけである。

 ぼくはそれほど無駄遣いをしてきたわけではないとは思うが、AV機器、ワープロ、パソコン、カメラ及びレンズ、そして本などでは、平均的な買い方を遙かにオーバーしていたことは事実である。そのぶん、ギャンブルやら海外旅行やら釣りやゴルフといった平均的な男の趣味にはほとんどまったく(ゴルフだけは数年やったが)手を出さずにきた。

 いずれにしてもぼくの場合、これが欲しいと思ったらおしまいで、手に入れるまで気持ちが落ち着かない。これで何度家内をキレさせたかしれない。最後にはお決まりの「どうせ買わなきゃ気が済まないんだから、さっさと買えば!」というお言葉で決着。

 しかしこれからはそうもいかない。何とかして「買わずにすませる」方法を考えねばならないと思っているのだが、最近意外なことに気付いた。何かに興味を持って、あ、これ欲しいなと思ったとき、しばらく放っておくと、数日も経たないうちに何が欲しいと思ったのかをすっかり忘れてしまうのである。

 もっともこれは今に始まったことではない。だから今までは忘れないようにメモしておいた。しかしこれからはメモなどしなければいいのだ。忘れてしまえば、欲しいなどと思うこともない。欲しいものを我慢する必要もない。実に楽なものだ。

 その結果として「ぼく欲しいものがあったんだけど、買わないことにしたよ。」と言える立派な大人になれるのだ。家内もきっと褒めてくれるだろう。

 小学生の頃は、顕微鏡が欲しくて何年も父にねだり続け、とうとう買ってもらった覚えがある。あの頃は、顕微鏡が欲しいという欲望も切ないほどに強烈だったし、まして「何が欲しいんだっけ?」なんてことには絶対にならなかった。だから毎日「買って、買って。」と泣いて頼んだものだった。

 若いということは、いいことばかりではない。年をとるのも悪いことばかりではない。若い人は「忘れることができない」から苦しく、年寄りは「忘れてしまう」から楽だ。そのうち何を持っているかも忘れるだろう。その挙げ句、自分が何者であるかも忘れてしまえば、それに越したことはない。

 


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