16 あれもこれも

2009.10


 前回のエッセイで、「ぼくは自分の蔵書を『全部読みたい』とも、『全部読まなければならない』とも思っていない。」と書いて、別に焦って暮らしているわけではないと言ったけれども、ほんとうのところはちょっと焦っている。孫娘に「これ全部読めるの?」と詰問されるまでもなく、ぼくの心の中には常にそういう思いがあって、せめてこれぐらいは死ぬまでには読みたいものだという本がないわけではないのだ。

 件の知人の文章も「手元に残したい20冊の本」という題のエッセイの枕の部分で、この後にこれだけは死ぬまで手元において繰り返し読みたいという本を挙げている。無人島に1冊もっていくならどの本かなどという質問も古来よくされてきたわけだが、本に囲まれていると、ついついそういうことを考えてしまうものらしい。

 もちろん、ぼくもよく考える。今ある本のほとんどを処分するとして、ではどれを手元に残すか。そう考えると、これが楽しいようで、苦しい。長期休暇になると、本棚の本をつくづくと眺めて、少し古本屋に売ってしまおうかと考え、段ボールに詰め始めることがある。しかしたいていは、途中で挫折してしまう。まあいいか。もう少し手元に置いておこうということになってしまうのである。ぼくの人生というのは、こういうことの繰り返しで、過ぎて来たような気もするし、それはそれでよかったのかなあという気もしている。

 数冊の本だけを手元に残して、後はその本を熟読しながら生きていきたいと何度も思ったものだが、そういう生き方は所詮ぼくのものではない。聖書1冊あればいいと言って、実際に聖書をぼろぼろになるまで読んで暮らしたという人の話を聞けば、そういう純粋さ・一途さには憧れつつも、何だか息がつまるようで嫌だなあとも思う。「全部という病」の反対で、「精髄という病」とでもいうべきだろうか。

 キルケゴールという哲学者に『あれかこれか』という本があったはずだが、ものごとをそういう風に突きつめていく考え方は、今のぼくには馴染まない。「あれもこれも」でいいんじゃないかと思ってしまう。

 さしあたって、今ぼくがもっとも面白いと思って読んでいるのは、モンテーニュの『エセー』だ。これはやはり大人の読み物で、若い人にはこの面白さはわからないだろう。バートランド・ラッセルの『怠惰への讃歌』も無類に面白い。芥川も読み直している。

 結局「あれもこれも」の日々である。



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