10 手がはやいのはダメらしい

2009.9


 イチローが大リーグで9年連続200本安打を達成した。その会見がなかなかよかった。

 「200安打を達成し、一塁上で思ったことは?」という第1番目の質問に、「解放されましたね。人との戦い、争いに一応終わりを迎えることが出来た。人の記録との戦いから来る解放感ですね。」と答えている。「新記録を達成し、200安打に対する考え方は変わるのか。」との質問には、「変わると思う。ちょっと楽になる。自分と向き合っていればいいんだもん。それは最高ですよ。」と答え、更には「来季以降も200安打は目標になる?」との質問に、「目標だと思うが、ずいぶん気楽な目標になるんじゃないですか。想像ですよ。実際どうなのかわからない。」と答えている。

 「人との、人の記録との戦い」がいかに重苦しいものであったかがよく伝わってくる答えである。

 その戦いが嫌なのではないだろう。むしろそれを目標に徹底的に自己管理をし、練習も積み、努力したことだろう。その果ての「解放」である。これからは自分と向き合っていればいいんだから気楽だ、最高だというイチローの気持ちは、なぜだかすごく共感できるような気がするのだ。

 ぼくなどはスポーツにも縁がなく、人との競争にもほとんど縁のない人間だが、それでも、ちょっとしたことで人と競争するような場面がないでもない。例えば囲碁、例えば書道。競争意識がなければ、それらの上達は望めないが、それでもそのことにあまり夢中になるとやはり苦しくなってくる。イチローならその苦しさを決して回避しないわけだが、ぼくなどはすぐに「解放」されてしまうことを願って、「ま、いいか。」というところに落ち着いてしまう。だからぼくの人生なんて、すこぶる「お気楽」なものでしかないのだ。

 ところで、このインタビューの最後の質問は、「なんでヒットそんなに打てるのか、と聞かれたら、どう答えるのか。」というものだった。これに対するイチローの答えはこうだった。「手を出すのは最後だよ、ということかな。これが僕の打撃を象徴している。手を出すのは最後。手が早い人はダメですよ、何をやるにも。」

 そうか、そうだったのか、と膝を打った。ぼくが何をやっても、中途半端で大成することがなかったのは、「手が早い」からだったのだ。何にでもすぐに手を出し、凡打に終わる。思えばこれの繰り返しの人生だった。

 書道の先生にも、「運筆が速すぎます。」といつも注意されている。



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