7 断片好き

2009.8


 染織家の志村ふくみさんに、『小裂帖(こぎれちょう)』という本がある。8000円もする高価な本だが、自慢じゃないがぼくはちゃんと持っている。その「はしがき」にこうある。

 この「小裂帖」は、私の手元の「小裂帖」を、そのまま本にしたものである。織物をはじめた一九六〇年前後から、染めて織った織物の残り裂を、手元の本に貼り付けるようにしておいたのが、年月を経てたまったものを、ほぼそのままの大きさで、順番も変えずに再現した。

 もちろん印刷だから、本当の色とはかなり違うのだろうが、本の後の「附記」にはこうある。

 この「小裂帖」の印刷で果たして本物と変わらない色が出るかどうか、私も編集者も苦慮していたが、今日の印刷技術の粋と、作り手の情熱をもってこの色彩までたどりついた。この本の色彩は、本物とちがいない色というのではなく、印刷によってあらわされる、本物にもない、なおかつ本物を侵さずに表現された色というものではないかと思う。

 なるほど8000円という値段もそれなら納得がいくというものである。

 印刷技術のことも興味深いが、それよりも何よりも、どうもぼくはこういうものに弱いのである。それをどう言えばいいのかよく分からないのだが、あえて言ってみれば「きれいな断片」とでもいうことになるのだろうか。

 着物そのものにはあまり惹かれない。それよりも数センチ四方の布の切れ端のほうに惹かれる。何故なのかは分からない。

 古本屋でも引き取ってくれない古い美術全集を、全部解体して、一枚一枚の絵にしたことがあるが、今ではさらにその一枚の絵を無数の「断片」にしたいという誘惑にもかられてしまう。その断片は、また「本物」とは別の美しさを獲得するかもしれない。

 書道の方でも、様々な「字典」というものが存在する。一つの字を、さまざまな古典の中から探し出してきて並べたものである。これも一種の断片であり、まとまった作品を見るのとはまた違った楽しみがある。

 本でも、体系的に述べられた大部の本より、箴言集とか、エッセイ集とか、あるいは俳句集、はたまた文学全集とかいった、断片の集積のような体裁のものが好きだ。

 挙げればきりがないが、小さなメモ用紙、切手、盆栽、植物の種、3分ぐらいの演歌、「切れてるチーズ」、落ちてる枯れ葉、展覧会のチケットの半券、写真。

 どうやらこうした好みの究極的なところに、志村さんの『小裂帖』があるらしい。



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