6 かしらは、おかしいのかしら?

2009.8


 柳瀬尚紀の『日本語は天才である』という本を読んでいたら、

 前章で引用した大野先生(大野晋)のFAXが「かしら」という語尾になっていますね。現代日本語では、もっぱら女性の話し言葉で用いられるので、ぼくは使えない語尾です。この語尾に「かしら」の実物の真正な用法を見た気がします。近代文学では、ごく普通に使われていました。

 と書いて、太宰治、芥川龍之介、永井荷風などの文章を引用している。ぼくの場合は、「かしら」は文章ではときどき使うこともあるが、会話ではまず使わない。けれども、吉田秀和の評論ではこの「かしら」が頻出していたので、特別な違和感はなかった。問題は柳瀬氏も言うとおり、いったいいつから女性語となったのかということだった。

 それで、「かしら」「女性語」で、ネットで検索してみた。最近はすぐこういうことをする自分が軽薄に思えるが、まあ案外面白いので仕方ない。ところが、この検索で驚くべき意見が見つかった。こういう書き込みである。

 小説(特にドストエフスキイの翻訳とか)で、自問自答するときや、会話文で質問するときに、よく「なになにかしら」とか「なになにかしらん」と出てきますが、これは小説独自の文法なんでしょうか? 日常表現として使われることが少ないので、会話文に出てくるとその都度奇異な感じがしてなりません。最近の小説でも、「〜かしら」と会話文にでてきます。これは小説を書くときの約束事なんでしょうか。(1)この表現を誰が使い始めたのか、(2)皆こぞってこの表現を使いたがる理由をご存知の方がいらっしゃいましたら教えて下さい。そんなひと、いないかしら。

 この質問に、親切な人が適切な回答をしていたが、それにしても、「かしら」が「小説独自の文法なのか」と思ってしまう若い女性(?)がいるということ、さらには、どうやら日常会話で「かしら」という語尾を使う女性がほとんど皆無になっているらしいこと、そのうえ「だわ」もほとんど使われていないということに愕然とした。確かに家内も「かしら」とも「だわ」とも言わないような気がする。いちおう確かめてみたが、「使わない」とのことだった。「かしら」のかわりは「かなあ」だと言う。

 男言葉の「だぜ」も絶滅しているらしい。時々授業で「〜だぜ」と言うと、生徒が決まって笑うのもそういうことだったのかと納得した。

 ああ、まったく世の中どうなってしまったのかしら。



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