3 赤帽教師

2009.8


 どうしてなのか分からないが、泳げない。

 中学生の頃は、毎夏「海のキャンプ」で、外国人神父のむちゃくちゃともいえる水泳指導があって、ほとんどの同級生は「遠泳」なども平気でこなす泳ぎの達人になったのに、なぜかぼくは中学3年生になっても、泳げない印の「赤帽」をかぶっていた。達人はいかにもそれらしい「黒帽」で、その中間的なヤツは「白帽」だったはずだ。いずれにしても、中3の「赤帽」は珍しく、普通だったら恥ずかしくって顔もあげられないところだろうが、そんなことはどこ吹く風、ひたすら室内ゲームに熱中していた。泳げないヤツは、ボートで沖へ連れていって、海に投げ落とすという噂のあった外国人神父の魔の手をどうやってぼくがかいくぐることができたのか、それも不思議である。たぶん、ぼくのことだから、何かと理由を付けてずるがしこく立ち回ったのだろう。

 それにしても、もし泳ぐことができたなら、ずいぶんとぼくの人生も違ったものになったんだろうなあと今ごろになって思うこともある。

 先日、その「海のキャンプ」の引率をしてきたのだが、いよいよ今年で定年を迎えるぼくにとってはおそらく最後の「海のキャンプ」となるだろうと思って過ごした3日間だった。このキャンプの引率は、今までに何度も行ったのだが、泳げないぼくは、水泳の指導もできず、せいぜいボートを漕いだり、陸上からの監視をしたりという役目しかなくて、生徒たちの無言の軽蔑の眼差しに耐えるしかなかったといっては少々大げさだが、少なくとも尊敬の眼差しとは無縁だった。

 今年も、学期末にキャンプ参加の調査票というのが渡されたから、参加したいというわけでは毛頭なかったが、行かねばならないのだとしたらこの日程でお願いしたいという気持ちで○印をつけて出したところ、その通りの日程での参加と発表された。行ってみると、ぼくが最年長の教師である。聞けば、あの調査票は参加希望調査票だったとのこと。何もぼくが「希望」することはなかったわけだ。

 最年長ということもあってか、気を使ってくれて、仕事はほとんどなく、そのうえ泳げないときているから、わずかに割り振られた仕事も満足にはこなせない。今更恥ずかしいとも思わなかったが、何だかやるせなかった。

 帰りがけ、これでもう見納めと思って眺めた海の向こうに、赤帽を恥ずかしいとも思わずにキャッキャと笑い転げていた中学生の自分の姿が一瞬見えたような気がした。



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