99 最高の楽しみ

2009.7


 アルゼンチンの作家ボルヘスは、ギリシャの哲学者ヘラクレイトスの「人は二度同じ河に降りてゆかない。」という言葉が大のお気に入りだったという。なんで「同じ河に降りてゆかない」のかというと、河の水は常に変わっているからだし、降りて行く人も前とは同じ自分ではあり得ないからだ、ということになるのだそうだ。それなら何もヘラクレイトスを持ち出さなくても、我らが鴨長明の「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」や、孔子の「ゆくものはかくのごときか、昼夜をおかず。」を引いた方がよほど気がきいていると思うのだが、この博覧強記の作家も、東洋の古典にまでは手が回らなかったと見える。

 いずれにしても、ボルヘスによれば、「時間」というのは人間にとって永遠かつ最も重大なテーマだという。聖アウグスチヌスは「時間とはなにかを知りたいという思いに自分の魂は燃えている。」と書いているそうで、その挙げ句、彼は神に時間とは何かをお教えくださいと懇願したのだそうだ。それというのも、時間とは何かが分からなければ生きていけないと考えたからだという。

 しかしまたアウグスチヌスは、「時間とはなにか、そう尋ねられなければ、なんであるか分かっているのに、人から尋ねられたとたんに、分からなくなってしまう。」と書いてもいるという。これはいまだにぼくらの実感ではなかろうか。時間とは何なのか、と考え始めるときりがない。それはちょうど人生について考えるのと似ている。人から尋ねられなければ人生が何かなどいうことは分かっている。いや分かっているつもりで生きている。しかし尋ねられたとたん(つまり問題化されたとたん)、分からなくなる。

 考えてみればおかしなものである。ぼくらにとって一番大事な「人生」というものが何なのかさっぱり分からないのに、ぼくらは日々平気で生きている。それと同様に、「時間」とは何かという問への答えが見つからないのに、いやあ時の経つのは早いねえなんてしゃべっている。

 ボルヘスは、ベルグソンとか、プラトンとか、ゼノンとか、ラッセルとかの時間への考察を次々に紹介しながら、ふと呟く。「しかしさいわいなことに、この問題(時間の問題)が解決される気遣いはなさそうだから、これからも思索を巡らすことができるにちがいない。」と。

 思索を巡らすこと、それこそが人間にとって、最高の楽しみなのだとボルヘスは考えていたのかもしれない。


本文中の引用は、『ボルヘス、オラル』(木村榮一訳)水声社刊、による。

Home | Index | Back | Next