98 花の力

2009.6


 昔、男がいた。京の都で暮らしていたが、どうにも自分が役立たずのような気がしてきて、いっそのこと田舎に行こう、そうすれば何とかなるかもしれないと思って、似たような思いの友人たちと東へ向かった。道を知る者もなく、迷いに迷って旅を続けた。そのうち三河の国の八橋というところに着いた。じゃあここらで一休みというわけで、馬から降りて、沢のほとりの木陰で、乾飯(かれいい)を食べた。この乾飯というのは、炊いたご飯を乾燥させたもので、昔の携帯食料である。その後、次のような一文がくる。

その沢にかきつばたいとおもしろく咲きたり。

 有名な『伊勢物語』の第九段、「東下りの段」である。

 この「おもしろく咲きたり。」を口語訳すると、「趣き深く咲いている。」とか「美しく咲いている。」というような所に落ち着くのだが、しかし古語の「おもしろし」は漢字を当てると「面白し」であって、「顔の前が白くなったように感じる。」つまりは、「目の前がパッと明るくなったような気がする。」「気持ちがパッと晴れやかになったような気がする。」という意味を持つ言葉なのである。

 小学生の頃、この「面白い」という漢字からの遊びで「面黒い」という言葉を作り出した友人がいて、「おもしろい」というべきところを、いつも「オモクロイ、オモクロイ」と言ってふざけていたのが思い出される。その頃は「面白い」というのは、意味とは関係のない当て字だと思っていたが、そうではなかったのだ。

 さて、口語訳してしまうと、「きれいに咲いている。」なんてことになってしまうこの一文も、「面白し」のニュアンスを知って原文のまま味わってみると、ほんとうにいい表現だとしみじみと感動してしまう。

 失意の旅、疲れきった体、うまくもない乾飯、そうしたふさいだ気分の時に見た「かきつばた」。その花を見たとき、心の鬱屈がパッと晴れた。ふーっと深呼吸をした感じ。生き返った!

 よし、それじゃあ、この花に乾杯だ。この花の名前を折り込んだ歌を作ろうじゃないか。男は作った。

からころも
きつつなれにし
つましあれば
はるばるきぬる
たびをしぞおもふ

 句の頭をたどるとちゃんと「かきつばた」になっている。それにしても都に残してきた妻が懐かしい。男たちは号泣して、乾飯が涙でグチャグチャにふやけてしまった。

 最後は笑わせるが、この有名な歌以上に、心にいつまでも残るのは、人の心を晴れさせる花の力である。


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