85 ハチのように

2009.3


 ハチが花にやってくると、蜜を吸ってさっと飛び去ってゆく。ハチが去った後の花に少しの乱れもない。人間もかくありたい。

 そのようなことが、古い仏典である『法句経』というお経に書いてあるそうだ。お釈迦様の言葉だともいう。ハチが花にやってくるのは、蜜を吸うためである。蜜を吸うためにやってきたハチは、やってきた目的以外のことはせずに、その目的だけを果たし、余計な未練は残さずに、あるいはそれ以上の快楽は求めずに、さっさと飛び去るのである。そこへいくと人間は、余計なことばかりやって、道草を食う。そう『法句経講義』の友松師は言う。名所旧跡にしても、そこを訪れたら「ああいいところだ。」と思って、さっさと立ち去ればいいのに、やってきた証拠だといって落書きを残したりすると嘆いている。

 お花見の季節だけれど、このお花見をこれに当てはめてみれば、人間のやっていることというのは、ハチの逆である。本来の目的であったはずの「花見」はほとんどしないで、ものを食い、酒を飲み、喧嘩をし、果ては花の枝を折るに至る。何と嘆かわしいことだと、兼好法師がもう何百年も前に言っている。その更に何百年も前にお釈迦様は、ハチを見て感心している。その頃から、ふとどきな花見をする人間がいたのかもしれない。いや、インドだから花見はしないか。

 それにしても、本来の目的だけを果たして後はいらないというのなら、これほど味気ないこともない。文化などというものも生まれないだろう。けれどもまた、ハチの生き方はすがすがしい。かくありたいというお釈迦様の気持ちもよく分かる。

 何かちょっとした仕事でも、やったやった、オレがやったと自慢しまくらないと気がすまない人間もいる。そういうのはさしずめ、花の上で踊りまくるハチみたいなもので、飛び去った後の花はクシャクシャボロボロになっているだろう。スゴイことを為し遂げても、涼しい顔をして立ち去る「シェーン」などは、ハチのような奴で、かっこいい。

 そういえば、先日NHKテレビで、「ミツバチが激減しているので、正常に受粉ができず、イチゴがイビツになっている。」というレポートを見た。ミツバチが花の上でぐるぐる回って蜜を吸うから、すべてのめしべに受粉ができ、その結果形のいいイチゴができるのだそうだ。これは驚いた。さっと立ち去るようでいて、スゴイ仕事をしているのだ。お釈迦様はそこまで気付いていただろうか。


*友松圓諦(ともまつ えんたい)著『法句経講義』 昭和9年・第一書房刊。後に「講談社学術文庫」(昭和56年)として再刊。

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