79 悠々自適

2009.2


 「悠々自適」という言葉がある。定年後の生活などについてよく使われる言葉だ。

 「悠々自適」の「自適」というのは「何物にも束縛されず心のままに楽しむこと。」だと広辞苑には書いてある。しかし「何物にも束縛されず」ということと「心のままに楽しむこと」とはそう簡単には結びつかないし、たとえその一方だけだって、そう簡単にはできることではない。

 「何物にも束縛されず」というときの「何物」は何かといえば、まずは「義務的な仕事」ということになるだろう。会社勤めがその代表となる。しかし、その仕事から解放されたとしても、それは「会社に束縛されない。」というだけのことであって、ぼくらを束縛するものは他にごまんとある。家庭や家族はその最たるものだが、それがたとえ緩やかな束縛だったとしても、ぼくら自身の肉体が束縛そのものである。やれ、腰が痛い、やれ血糖値が高い、コレステロール値も高いし、血圧も高い、おまけに眼圧まで高いなどという肉体(ちなみにこれらは全部現在のぼくが「治療中」のものだ)は、まさに束縛以外の何物でもない。とすれば「何物にも束縛されず」という状況は実際にはほとんど実現不可能なわけで、実際には「幾多の束縛にもかかわらず、それらを何とかクリアして」ということでしかないことになる。まあ、それがクリアできればたいしたものだが、なかなかそうもいかないのが現実だ。

 しかし、何とかそれが実現したとして、「心のままに楽しむこと」は更に難しい。ただ「楽しむ」のではなくて「心のままに」とはどういうことなのだろうか。「心のおもむくままに」ということだろうか。しかし、そうそう「心」が「おもむく」だろうか。つまり、何かに興味を持つということが「心のおもむく」ということだろうが、人間というのはそのときの気分に支配されやすいもので、気分が落ち込んでいるときなどは、何物にも興味なんて感じないものだ。あるいは。何物にも興味を持てない状態を、「落ち込む」というのだと言ったほうがいいのかもしれない。

 「幾多の束縛にもかかわらず、それらを何とかクリアして」その上に、生き生きとした興味を何かに持つことができたとして、さてその上で「楽しむ」となると、これまた難題である。「楽しむ」ためには、それ相応の準備あるいは訓練がいるからだ。

 そういうわけで、「悠々自適」などを目指すより、仕事に追われている方が結局は楽なのかもしれない。


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