77 「まあいいや、どうだって。」

2009.1


 『サーカスの馬』という安岡章太郎の初期の短篇小説が中学校の教科書に載っている。府立一中(現在の都立九段高校)在学中の思い出を描いた随筆的な小品で、ほとんど事実だという。

 安岡少年は、成績は最低レベル、運動も苦手、これといった特技もなければ、性格もよくない、その上に怠け者ときている。そして何かというと「まあいいや、どうだって。」が口癖だ。この少年が、学校のすぐ近くの靖国神社の祭礼にやってきたサーカスの馬を見て、そのよぼよぼの老いぼれた姿に自分と同類のように思えて共感を寄せるのだが、実はその馬はサーカスの花形だった。その馬が大活躍する姿を見た少年は、無意識のうちに懸命に拍手をしていたというお話。

 読後の感想を中2の生徒に書かせたら、9割以上の生徒がこの少年のどうしようもなさに呆れ、腹をたて、苛立ちを隠さなかった。中でも「まあいいや、どうだって。」といって努力を放棄するのはよくないという非難が圧倒的に多かった。ある意味当然で健康的な感想なのだが、あえて次に、ほんとうにこの少年はどうしようもない奴なのかを考えさせてみた。題して、「安岡君のいいところを探せ!」。

 すると意外なことに、面白いというか、思わずうならされる意見が続出した。

 例えばある生徒は、この子が自殺しないことがすごいと書いた。現代人は壁にぶつかるとすぐに自殺するけど、この子は「まあいいや、どうだって。」と思って、「その壁の横を通ってしまうのだ。」と書いていた。思わず、うなった。「壁の横を通ってしまう」という表現がいい。

 まじめで、とことん努力する人間は、行き詰まったり、失敗をおかしたりすると、自殺してしまう傾向が確かにある。けれどもどんなことでも「まあいいや、どうだって。」と思える人間は、いい加減な奴には違いないが、自殺なんて考えもしないだろう。

 実はこの小説は、母校の九段高校の新聞部の生徒が、母校の先輩である安岡章太郎に何か書いてくださいと頼みにきたことがきっかけで書かれたものだという。しかも母校を懐かしく思った安岡の「最近どう、九段高校は?」との質問に「自殺する生徒が多いんです。」という答えが返ってきたことに衝撃を受けて、後輩を励ますつもりもあって書いた小説なのだというのだ。

 はからずも中2のこの生徒は、この小説のほんとうのメッセージを読み取ったことになる。エライ。他にも考えさせられる意見があったので、次回に紹介したい。


Home | Index | Back | Next