72 人生の短さについて

2008.12


 『大人の時間はなぜ短いのか』という本がある。まだ読んではいないのだが、たとえその疑問について、どんなに分かりやすく解説してあっても、そしてそれが十分に納得のいく説明であっても、結局「短い時間」が長くなるのでなければ意味がない。そしてどう考えてみても、「大人の時間」は長くはならない。少なくともぼくの時間は、絶対に長くはならない。1日は、それこそ瞬時だ。風のように去ってゆく。

 「久しぶりだねえ。」と言って会う友は、たいてい2、3年ぶりだ。それが20年ぶりだということも少なくない。

 『人生の短さについて』という本もある。たしかセネカという人の書いたもので、岩波文庫に入っている。ぼくはその本を持っているはずだが、まだ読んだことがない。読んでも、目から鱗が落ちるようなことが書いてあるとも思えない。結局、人生は短いんだと納得するだけのことかもしれない。たとえば「人生は短いんだから、一日一日を大切に生きよう。」なんて提言がそこにあったとしても、それでぼくの日々の暮らしが変わるとも思えない。

 「大人の時間」は短いに決まっている。人生も短い。それは分かっているのだ。だからどうしたらいいのか、ということを、本当に知りたい。

 しかしその答えは永久に出ないだろう。「ああ、短い、短い。なんて人生は短いのか。」と嘆きつつ、人は死んでいくのだろう。もし死の床で、自分の一生を振り返る余裕があったとしても、「ああ、なんていろいろなことを経験した人生だったのだろう。オレは世界一の幸せ者だ。」と思える人がいったい何人いるだろうか。そういう人がいれば、それは誠に慶賀の至りだが、ほとんどの人は「あ〜あ、これで終わりなのか。まさかこれが人生というものだとは思わなかった。」ぐらいのことは思うのではないだろうか。そして、そう思う人こそが、実は誠実に真剣に生きてきた人なのではないだろうか。

 自分のやりたいことをやって自分の思い通りに生きるということが、もし人生なら、「まさかこれが…。」という感慨は、失敗の証かもしれない。けれども、人生とは、そこで出会った人との関係を生きることだとすれば、「まさかこれが…。」という感慨に至るのはむしろ当然の帰結なのだ。それは、出会った人との関係の中で、自分の思い描いていた人生の地図が次々に書き換えられていくからだ。

 ぼくらの人生は、結局そういうものでしかない。いや、むしろそうでなければならないのだ。


 

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