69 一時の恥

2008.12


 麻生総理の漢字の読み間違いが巷の話題になっているが、別に麻生さんだけではなく、誰だって一度や二度は漢字を読み間違えて恥をかいたという経験はあるだろう。

 先日ある年上の知人(Bさんとしておく)からのメールで面白い話を聞いた。

 Bさんが勤務していた会社では、朝礼というものがあって、その形式は各職場で工夫されていたという。初めのうちは、社員全員が当番で何かを喋るというのが主流だったのだが、そのうち話もネタ切れになり、くだらない話ばかりになってきたので、一計を案じ、某有名企業の創立者の語録のようなものを数名の課長が当番で読むことになった。ところが、いざそれをやってみると、読み間違いの連発となった。「小田原評定」を「オダワラヒョウテイ」、「ご利益」を「ゴリエキ」などといった始末で、聞いているほうではハラハラの連続だが、なにしろ相手は上司なので、誰も注意できない。そこでBさんは、同僚であり課長でもあるということから、勇気ある親切だと信じて、片っ端からそっと注意してあげたのだそうだ。すると、注意された人は、照れくさそうに「そうじゃないかと思った。」と言うばかりで、「どうもありがとう。」とは言わなかったという。気付いても注意しなかった部長は、半年ほど経つとポツリと一言、「朝の読書はやめよう。」

 「これで間違いだらけの漢字読み行事は終了。ホッとしました。」とBさんは書いておられた。

 「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」ということわざがある。Bさんは、感心なことに、間違いを勇気をもって注意してあげただけでなく、自分がもし間違えたら是非教えてほしいと頼んだというが、これはなかなかできないことだ。注意されたときに、「あ、そうだったの! ずっと勘違いしていたよ。やあ、ありがとう、助かった。」と言える人はきっとそう多くはないだろう。課長であれ、部長であれ、変なプライドは捨てて、間違いを率直に認め、それを指摘してくれた人に心から感謝できれば、それは相当な人格者だろう。下手をすれば「何だ、ちょっと言い間違えただけじゃないか。そんなこと知ってるよ。バカにするな。」などと逆ギレされかねない。だからこそ、そういう人は、誰からも注意もされず、従っていつまでも間違え続け、あげくの果てに、偉くなろうものならテレビにも出て、全国に恥をさらすこととなるわけだ。

 「一時の恥」に笑って耐えられる人になりたいものだ。


 

Home | Index | Back | Next